なぜ現代美術の先駆者なのか
ジオットのフレスコ画に啓示

Henri Matisse,Interieur au vase etrusque,1940.The Cleveland Museum of Art Succession H.Matisse/Artists Rights Society
フランスの画家の中で近現代の西洋美術に決定的影響を与えた人物は誰なのか。1人は「近代美術の父」とも呼ばれ、存在する物の形態と空間をキャンバス上で再構成したポール・セザンヌであることに異論を唱える人は少ないだろう。
では、セザンヌから一歩進んで画家独自の感性や解釈を前面に出して現代美術に決定的影響を与えた人物はといえば、異論もあるかもしれないが、アンリ・マティスと言えるだろう。この2人のフランス人画家を扱う展覧会は、フランスでは常に盛況でフランス人の誇りと言っても言い過ぎではない。
そのアンリ・マティスの「マティス、1930年の転換点」展(5月29日まで)が、パリのオランジュリー美術館で開催されている。同展は、これまでマティスの専門家があまり注目してこなかった1930年代の10年間をマティスにとって大きな転機と捉え、マティス芸術への理解を深めようという試みだ。
マティスはマネやルノアールなど印象派の画家たちと異なり、あるいは近代絵画の道を開いたセザンヌとも違い、画商におもねることもなく、芸術家本人の独自の感性を徹底して掘り下げた人物だった。その意味で彼の芸術を理解する上で人生をひもとくことは大きな意味を持つ。
同展はマティスの足跡を丁寧に追った「美術ノート」を下敷きにしている。1930年2月、60代に入ったばかりのマティスは、ポスト印象派を超えた新しい生命の何かを見つけるため、タヒチに旅立った。その旅は最初にニューヨークに立ち寄り、列車で広大なアメリカ大陸を旅した後、タヒチで3カ月を過ごした。
すでに芸術家としての評価の高かったマティスは、フランスに帰国する前に立ち寄ったピッツバーグでカーネギー賞の審査員を務め、フィラデルフィア郊外メリオンで新たな美術館を建てた収集家、アルバート・バーンズ博士から、美術館のメインルームを飾る横幅14㍍の絵画制作を提案された。
壁画制作をしたことのなかったマティスには、新たな依頼を受けたことで新境地を開く機会を与えられた。その作品は現在、パリ近代美術館が所蔵する「ラ・ダンス」だった。キャンバスの前でインスピレーションが湧かなかったマティスは再び、創作意欲をかき立てられた。
それは19世紀に職人から芸術家に進化した近代絵画の先頭を走るマティスに神が与えたチャンスだったのかもしれない。イタリアを旅行し、14世紀の画家、ジオットのフレスコ画に啓示を受けたマティスは、フォービスム(野獣派)の戦士ではなく、美の創造者に変化していた。
くしくもジオットは「芸術家と見なされた最初の画家」と言われ、ルネサンスの先駆者として全ヨーロッパに名前を知られた人物だが、彼の志がマティスに啓示を与えた瞬間だった。自分に正直に生きてきた真の芸術家の精神が復活したことで芸術家とは何かを提示できたともいえる。
画家独自の感性で色彩だけでなく、フォルムも動きも空間も独自の美意識で再構築したマティスの足跡は、現代美術に圧倒的インパクトを与えた。それはフランス的でもあり、マティスの転機は西洋美術全体の転換点ともなったと言えそうだ。
(安部雅延)



