マネとドガ 印象派を超えて
「新しい絵画」創造する場共有

「笛を吹く少年」で有名なエドアール・マネも、踊り子の連作で知られるエドガー・ドガもフランスの巨匠として日本で広く知られている。だが、この2人だけを突き合わせた企画展は珍しく、今回、パリのオルセー美術館は、ニューヨークのメトロポリタン美術館と協力し、2人の巨匠の特別展を開催した。
「マネ/ドガ」展(7月23日まで)は、19世紀末のパリに住んだ2人が芸術の夜明けの空気を同じ時期に吸い、古典を継承しながらも画家個人が主張する「新しい絵画」を創造する場を共有していたことに大きな意味があったと同展は指摘している。
2人とも、当時台頭し始めた印象派の影響を受けながらも、独自の様式を生み出すことに専念した姿勢は、その後の画家たちを大いに啓蒙(けいもう)した。それも安易に抽象に走ることなく、人体や自然を極端にデフォルメすることもなく、2人ともリアリズムの継承者として、新しいリアリズムを主導する存在だったことは、もっと評価されるべきと同展は主張する。
マネは生前、批評家から印象派のリーダー格と見なされていた。19世紀後半、油絵の具の発達で戸外での制作が可能になり、フォンテンブローの画家たちは森の中で自然と向き合って制作に励んだ。しかし、マネ自身は印象派の美術運動の集団に加わらず、グループ展への参加も頑固に拒んだ画家だった。それだけでなく、権威ある公募展のサロン展にこだわっていた。
それにマネは、自然、風景、田舎の景観にこだわった印象派の画家とは異なり、産業化が進む都市でブルジョアの享楽、カフェなどを題材にした作品が大半を占めている。具象画に固守し、人間が絵を描くということの本質を極めようとした「絵画の擁護者」だった。
一方、ドガはマネと異なり、伝統的な権威あるサロン展に対抗し、印象派の若い画家たちが集まって1874年に始めた印象派展に毎回出品した。そのため古典的絵画に反抗する好戦的な印象派の画家との烙印(らくいん)が押された。つまり、印象派の画家の急先鋒(せんぽう)のように言われた。
ところが、デッサンの魔術師といわれたドガは、印象派の多くの画家が夢中になった光、色彩、自然が人間に与える「印象」ではなく、あくまで身体の動きに注目し、デッサンとフォルムの堅牢(けんろう)性に支えられた絵画制作に没頭した。同展では、ドガは印象派に加担しながら、本質的に印象派を代表するピサロやルノワール、モネのようなアプローチはしていないと指摘する。
つまり、マネ同様、印象派に影響された側面はあったものの、結果的には印象派を超えた具象絵画を描く新しいアプローチをそれぞれ探求し、どの美術運動や様式の分類にも当てはまらない独自の画境を見いだした。このことで歴史に巨匠としての足跡を残したと同展は結論付けている。
西洋美術が追求してきたフォルム、奥行き、質感、デッサンの正確さなど、古典絵画技法の基礎をしっかり踏襲しながらも、新しい絵画を生んだという意味で、2人は西洋絵画の正統派といえる点に同展は注目している。
21世紀、改めて絵を描くことの意味が問われる中、2人の巨匠の残したものの意味が光を放っているといえそうだ。
(安部雅延)



