
恫喝ならぬ核兵器使用の懸念
――プーチン氏は核兵器使用の恫喝(どうかつ)をしてきた。実際、使用する恐れはないか。
プーチン氏が核恫喝を行っているのは「ハッタリ」ではない。先ほど「この戦争はプーチン氏の命に関わる」という話をした。
プーチン氏は、「戦争に負け、失脚して殺されるぐらいなら、戦術核を使っても勝利してやる」と考える可能性がある。これは、どこまでも自己中心的で、まったく合理的ではない。
だが、思い出してほしい。私は一昨年の12月ごろから「ウクライナ侵攻はあり得る」と語っていたが、ほとんどの専門家は「合理的でない」という理由で、「侵攻はあり得ない」と主張していた。プーチン氏が「合理的な男」と考えるべきではない。
では、どういうケースで戦術核使用命令を出すかだが、例えば大攻勢でゲラシモフ氏が負けそうになったとき、あるいは負けたときだ。あるいはウクライナ軍がクリミア奪回に動くとき。プーチン氏は2014年の「クリミア併合」で、「歴史的英雄」になった。この功績を奪われそうになったとき、戦術核の使用を決断するかもしれない。
――軍事侵攻しながらプーチン氏は、ウクライナとの戦争を「祖国防衛」とか「神聖な義務」と強調するようになったのはなぜか。
勝てないからだ。
ロシアの国営メディアを見ていると、論調の変化がはっきり分かる。当初、国営テレビは、「楽勝だ」という報道一色だった。しかし、キーウ陥落が絶望的になると、国営メディアは、「ロシア軍劣勢の説明」をする必要が出てきた。
そこで、国営メディアは、「われわれが戦っているのはウクライナ軍ではない。NATOと西側全体と戦っているのだ」と言い訳するようになった。さらに戦争が長期化すると、「聖戦」と呼ぶようになった。
プーチン氏の支持基盤であるロシア正教は、「同性愛」に反対している。そこでプーチン氏は、ウクライナを支援している西側の指導者らを「悪魔主義者」と呼ぶようになった。ロシアには、このような主張が受け入れられる土壌がある。
――ロシアにも当初はプーチン氏への批判や反対デモがあったが。
ロシアの世論は、「テレビ世代」と「ネット世代」で二つに割れている。テレビ世代、これは年齢が上の層だが、彼らは洗脳され、戦争支持者が多い。
ネット世代、つまり若い層は、さまざまな情報源にアクセスするので、事実を知っている。当然、戦争反対が強い。しかし、デモは弾圧され、沈静化している。そして、「戦争反対」のデモに参加したり、SNSに反戦投稿すると、「最長禁錮15年」という厳しい刑を科されるリスクがある。
だが、ロシアの知人友人たちは、昨年9月の「動員令」で、「明らかにムードが変わった」と口をそろえて言う。「テレビの中だけで起こっている戦争」だったのが、動員令が出され、これがネガティブな意味で「自分たちの戦争」に変わった。若い男性は皆、「召集令状が届くこと」を恐れるようになった。
女性は、自分の父親、自分の夫、自分の息子たちに召集令状が届くことを恐れるようになった。目に見える抵抗はあまり起きていないが、時が経(た)つにつれ反戦意識は高まっていくだろう。(聞き手=窪田伸雄)



