ゴルバチョフ氏死去の波紋 親政府メディアが弔問客批判

プーチン氏、強硬派シロビキ警戒

3日、モスクワで営まれたゴルバチョフ元ソ連大統領の葬儀(AFP時事)

ゴルバチョフ元ソ連大統領の死去が波紋を広げている。プーチン大統領は公務を理由に葬儀には参列せず、葬儀も国葬とはしなかった。葬儀には数千人の弔問客が訪れたが、一部の親政府系メディアは弔問客を「裏切者」と批判した。(繁田善成)

ソ連邦最後の指導者だったミハイル・ゴルバチョフ元大統領が国際社会で「冷戦を終結させた指導者」と高く評価される一方、ロシアでの評価は分かれている。

ゴルバチョフ氏の死去に関連して、政治家や政治学者、ジャーナリストやブロガーからさまざまなメッセージや追悼記事が出されたが、その評価は「ソ連(ロシア)に自由を与え、民主主義へと導いた」というものと、「ソ連を破壊した」というものに二分される。

ゴルバチョフ氏の功績として、無血で東西冷戦を終結させ、核の軍拡競争から世界を解放したこと、政治犯の釈放、アフガニスタンからのソ連軍撤退、共産主義との決別と民主国家への道筋を付けたことなどが挙げられる。

一方で国内の共産主義者や愛国組織、極右や極左からは「ソ連を崩壊させた」として憎悪の対象となった。また、グラスノスチ(情報公開)によってソ連の旧共和国で独立を求める動きが広がったとき、ゴルバチョフ氏は当初、これらを武力で抑え込み犠牲者を出したことで、これら共和国の人々から批判を受けている。

ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と語るプーチン大統領はゴルバチョフ氏を嫌っていた。ゴルバチョフ氏がウクライナ侵攻に反対していたことも癪(しゃく)に障っていたようだ。9月3日に行われた葬儀を国葬とせず、参列もしなかった。

しかし、「大統領」という地位は神聖であると考えているため、それを完全に無視することはなかった。死去の翌日の9月1日にモスクワの中央クリニック病院を訪れ、ゴルバチョフ氏に別れを告げた。

葬儀には予想を超える多くの弔問客が訪れたが、独立系メディアによると複数の人々が警官に逮捕された。逮捕されたうちの3人は、戦争に反対するバッジを着けていた女性だという。一部の親政府系メディアは、参列者を「裏切者」「第五列(スパイ)」と非難し「ロシアから追放すべきだ」と報じた。

ところで、ゴルバチョフ大統領が権力を失うきっかけとなったのが、1991年8月に起きた旧ソ連保守派によるクーデター未遂事件だった。一部のメディアは、現在のプーチン大統領を取り巻く情勢と、1991年当時の情勢を対比し、現在のプーチン大統領にとって、かつてゴルバチョフ氏を追い詰めた「保守派」に相当するのは、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記を事実上のトップとする強硬派のシロビキ(武力省関係者)だと分析している。

これら強硬派のシロビキには、ウクライナに対するプーチン大統領のやり方は生ぬるく映る。プーチン氏は「弱虫」であり、優柔不断によりロシアを敗北に導くだろうという考え方を持つ。

パトルシェフ氏はプーチン氏のKGB時代の同僚で、現在では腹心中の腹心だ。ウクライナ侵攻を主導したのは、プーチン氏ではなくパトルシェフ氏だという見方もある。パトルシェフ氏はロシアのシロビキすべてを監督する立場にあり、もし、宮廷クーデターを成功させようと思うならば、その首謀者として最も適任と言われる人物だ。

だからこそプーチン大統領は、パトルシェフ氏の息子・ドミトリー農相を自らの後継者として演出することで、ニコライ・パトルシェフ氏を制御する構え、という。ウクライナ侵攻の長期化で、ロシアが国際的に孤立し、経済面でも追い詰められる中で、プーチン大統領は強硬派シロビキとも向き合わざるを得ない状況に立たされている。