
1815年のウィーン会議で永世中立を承認されて以来、200年以上の歴史を持つスイスの「中立」が揺れ出した。スイス公共放送(SRF)が発信するウェブニュースによると、ロシア外務省は先月11日、「スイスがウクライナの権益を保護する利益代表部の役割を果たすことを認めない」と声明を発表した。ロシア側から「スイスはもはや中立国ではない」と審判されたわけだ。(ウィーン・小川 敏)
ロシアのプーチン大統領が今年2月24日、ロシア軍をウクライナに侵攻させて以来、欧州の政治情勢に大きな変化が出てきた。その一つは北欧の伝統的中立国スウェーデンとフィンランドが北大西洋条約機構(NATO)に加盟申請をしたことだ。1300キロ以上の対ロシア国境線を有するフィンランドは冷戦時代からのロシアへの融和政策を放棄し、NATO加盟を決定。同じように、スウェーデンもNATO加盟を決めたことで、欧州では中立主義を国是としている国はスイスとオーストリアの2カ国となった。なおスイスの場合、NATOばかりか、欧州連合(EU)にも未加盟だ。
スイスの中立主義はウクライナ戦争とそれに関連した欧州の対ロシア政策で揺れ出してきた。ロシア軍のウクライナ侵攻以来、「ウクライナ戦争では中立というポジションは本来、考えられない」として、欧米諸国はウクライナ支援で結束してきた。そのような中、スイスはウクライナ戦争勃発直後、欧米の対ロシア制裁を拒否してきたが、欧米諸国からの圧力もあって3月5日から、対ロシア制裁を実施してきた。
スイス政府は当時、「ロシアが欧州の主権国を攻撃するという前例のない事態は、連邦内閣が従来の制裁方針を変える決め手となった。平和と安全保障を守り、国際法を順守することはスイスが民主国として欧州諸国と共有する価値観だからだ」と述べ、「国際法の順守は中立主義の堅持より重要」という判断を下した。
スイスが今後も欧米の対ロシア制裁を忠実に実施できるかは不確かだ。例えば、米下院は4月、オリガルヒの凍結された資産を没収・売却し、その資金をウクライナへの軍事・人道支援に充てるよう大統領に求める法案を可決したが、オリガルヒが世界の銀行に保有している資金の没収案については、国際金融界をリードしてきたスイス銀行業界では抵抗が強い。スイスのニュースサイト「スイス・インフォ」によれば、スイス国内の銀行が保有するロシア人顧客の資産総額は2000億フラン(約25兆円)に上るという。
スイスは7月4、5日の2日間、同国南部のルガーノで「ウクライナの復興に関する国際会議」を主催したばかりだ。同国のカシス大統領は5月のダボス会議で、「スイスは今後、協調的中立を目指す」と表明し、スイスがウクライナ問題では全面的に欧米諸国と歩調を合わせていく意向を明確にしている。
それに対し、ロシアはスイスの外交政策の変化に不快感を表明し、同国外務省が今回、「スイスは中立国ではなくなったので、ウクライナの利益代表部を務めることはできない」と警告を発したわけだ。スイスが「永世中立」から「協調的中立」に衣替えをしたと表明しても、欧米の対ロシア政策に加担する以上、もはや中立ではないというわけだ。
ロシア外務省の声明はスイスにとって大きな意味合いがある。スイスはジュネーブに国連の欧州本部を置き、これまで世界の紛争の仲介、調停者的役割を果たしてきたが、今後スイスはその役割から降りざるを得なくなることが予想されるからだ。
ちなみに米国は北朝鮮とイラン両国とは国交を樹立していないから、平壌での米国の権益を保護する利益代表部は北欧のスウェーデンが務め、イランでは1980年以来、スイスが米国の利益代表部となってきた。スウェーデンとスイスが中立国のステータスを失えば、米国の利益代表部の地位を失うことになるかもしれない。
スイスが中立国ではないとなれば、欧州最後の中立国オーストリアの仲介役としてのステータスが高まる。国連都市ウィーンとジュネーブは過去、国際会議のホスト役争いを舞台裏で競ってきた経緯がある。それだけに、ロシア外務省の今回の声明はオーストリアにとって願ってもないサポートとなるわけだ。
不思議なことは、オーストリアでは政府も国民もウクライナ戦争に直面しても中立主義を放棄するような動きはほとんど見られないことだ。一人の欧州外交官が、「オーストリアでは中立主義は宗教だ。だから、改宗することは難しいのだ」と解説する。



