闘争と戦争で綴られた世界史

紀元前5世紀の歴史家、ヘロドトスの著した『歴史』は、荒唐無稽な話が多いとか、フィクションがあると批判されていたが、現代では、文化人類学や社会学の方法が研究に取り入れられて、材料の宝庫として注目されるようになった。
『歴史』は全ギリシャを危機に陥れたペルシャ戦争について、原因を究明するために東方世界を訪ね歩き、見聞した事どもを記録した大作。小アジアに出現した王国、リュディア史から始まって、メディア、ペルシャ、エジプトと続き、ペルシャにダレイオス大王が登場すると帝国の再編がなされて、スキタイに遠征する。そして小アジアのギリシャ植民地で独立運動が起きることで、ペルシャはギリシャへ迫っていく。
諸民族が抗争を繰り広げつつ世界史を形成する様相は、渓流が川となり、大河になっていく様相を示す。
そして広大な世界を実地に歩いて探求、検証した科学的精神にも驚かされる。
各民族と文明に対して公正な見方を提示した見識は、ヘロドトスの人間性を表している。彼は、小アジアのエーゲ海に面したカリア地方、ハリカルナッソスの出身で、父はカリア人、母はギリシャ人だ。ペルシャ帝国内のギリシャの植民地だった場所で、東も西もよく理解できる位置だ。
そのバランスの良さは、ペルシャで、ギリシャよりも早く、要人たちが、統治形態を巡って独裁制、寡頭制(かとうせい)、民主制の是非に関する議論を、突っ込んで展開している逸話にも表れている。
ヘロドトスはまた、独特の霊感を備えていて、デルフォイの神殿祭祀(さいし)から、エジプト人の宗教、ペルシャ人の神観まで詳述し、占いや予言の役割をもつづっている。
ところで全体を通してみると、『歴史』の主題が浮き上がってくる。文明の中心が東から西、アジアからヨーロッパへ移っていく事実だ。もう一つは、歴史が絶えざる闘争と戦争によってつくられていったという事実。これは現代でも変わることがない。
内的原因は登場人物たちの欲心と良心の葛藤、共同体内の分裂、権益を拡大しようとする国家の野心。それらを見えない世界で操っている運命という存在。
『歴史』はイスラエル古代史をつづった『旧約聖書』と「対」の存在であると考えることができる。まず同じ時代の同じ空間を舞台にしている。イスラエルが南北王朝に分裂した後、アッシリアやバビロニアが侵攻し、ペルシャが介入する。エジプトは民族の形成前から登場する。
興味深いのは、イスラエルが初めから世界史的に位置付けられていたことだ。
「もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭祀の国となり、また聖なる民となるであろう」(出エジプト記第19章5~6節)
モーセがイスラエルの民に語った言葉だ。だが結果的に見ると、全地の「祭祀の国」とはならず、逆に、周囲の大国から攻められて、国を失ってしまう。聖書の記述から推察すれば、彼らがその契約を守れなかったからだ。
これを続けてなそうとしてきたのは、信仰の継承者、キリスト教徒たちだ。
(増子耕一、写真も)



