
ノンフィクションが低迷している。売れない、元気がない、いい作品が出ない。「ノンフィクション冬の時代」とノンフィクション作家自身が言う。この作家はテレビやラジオの仕事があるので何とかやっているが、「書く」だけの仕事は厳しい。
「中央公論」6月号が「ノンフィクションの未来」と題して特集しているが、「未来」に前向きの方向性が見えている要素は見つからない。
ノンフィクションでなければ書けないテーマは必ずあるはずだが、そのためには資金と時間が必要だ。だが現状は、両方とも不十分。柳田邦男、立花隆、沢木耕太郎、佐野眞一、猪瀬直樹各氏がいい作品を残してきたのは確かだが、それが反転して衰退の時代を迎えてしまった。
読み手の側が変化した面も大きい。情報の賞味期限が短くなった。速報性ばかりが求められる風潮の中、じっくり取材している余裕がない。
取材という行為の社会的役割が低下しつつあるとも言える。話題はどんどん変わるから、長時間かけて取材が終わった頃には、読者の関心は別の所に移っている。コンプライアンスも厳しくなった。公務員も含めて、取材者に情報を提供することはますます困難だ。
それでも、講談社本田靖春ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞(文藝春秋)は健在だ。ノンフィクションは衰退しただけで、ジャンルとして存亡の危機にあるわけではない。なくてはならないことは紛れもないのだ。



