【上昇気流】(2023年3月23日)

村山下貯水池(多摩湖)と取水塔

東京都東村山市にある狭山公園は、西側に大きな堤防があり、多摩湖が満々と水をたたえている。この堤防から奥多摩の山々が遠望され、足を止めて写真を撮ったりする人も多い。

多摩湖が貯水池として完成したのは1927年。もとは狭山丘陵の中の渓谷で、現在、狭山公園の中の宅部池を源流とする北川は、昔はこの渓谷から流れていて、今よりも大きな川だったのだろう。

川を下って行くとほとりに「下宅部遺跡はっけんのもり」がある。日本歴史公園100選に指定された公園だ。丘と木々と小川があるだけだが、縄文時代の日本有数の低湿地遺跡で、その重要性から都の史跡になっている。

湿地だったために、作業の痕跡や、木製道具や漆製品、編み物製品、木の実や種がよく残っていた。注目されたものの一つが漆工技術だ。ウルシ林の管理から、調整、塗布に至るまで判明し、その技術はすでに完成していたという。

川に打ち込まれた杭(くい)があり、ウルシの杭もあって、間伐した若木だった。市制施行50周年記念特別展の図録「下宅部遺跡展 縄文の漆」(東村山ふるさと歴史館)に遺構が紹介されているが、面白い出土品があった。

楽器だ。「土笛」で「3音程度の変化が付けられる」と解説。フルート奏者の大嶋義実さんは、笛とは息が音になることから「無いのに在るもの」の存在を悟らせる音と形容する(『演奏家が語る音楽の哲学』)。縄文人も音から魂の糧を得ていたのであろう。