
近所の公園のモクレンの樹が白い花を一斉に咲かせた。今年もこの時期がやってきたと思う。12年前、三陸地方が巨大津波に襲われた東北地方で生死の戦いが続いていた時もモクレンの花の盛りだったが、被災地のことを思うと花を見ても心が和まなかった。
あの頃は、多くの日本人の心が東北の被災地と片時も離れなかった日々でもあった。被災した人々はもちろん、そうでない日本人の多くが、困難な中で家族の絆、人と人との絆の大切さを実感した。
米国生まれの日本文学研究者ドナルド・キーン氏は「地震や津波、原発事故があっても日本人が落ち着いていたことに感心しました。日本が好きです。日本人として死にたい」と言って日本国籍を取得した。
キーンさんは2019年に亡くなったが、震災後の日本人の絆の綻びに苦言を呈することもあった。新型コロナウイルスの蔓延は絆を激しく揺さぶった。復興五輪となるはずの東京五輪も開催するしないで世論が分裂した。
小津安二郎の最初のカラー作品となった「彼岸花」(1958年)の中で、娘の結婚問題での意見の対立も解消した佐分利信演じる父と田中絹代演じる母が、湖のほとりのベンチで会話を交わすシーンがある。妻は「戦争は厭だったけど…あんなに親子四人が一つになれたことはなかった」。
困難な時、結束するのは日本人の特性のようだ。しかし今、求められるのは「厭なこと」が起きないように一つになることだろう。



