【上昇気流】(2023年2月5日)

小林一茶旧居

昨日は「気温はまだ低いが、暦の上ではこの日から春になる」(稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』)という「立春」だったが、そんな気分ではないほど寒い。

季語の「春」は旧暦の1月から3月までを意味するから、旧暦を使っていた当時と今とでは春の気温も違う。立春の俳句には、冬から解放されたどこかほのかな喜びといったものが少なくない。特に江戸時代の小林一茶の句にはそんな解放感がある。

「春立(たつ)や愚の上に又愚にかへる」の句からはしみじみとした喜びが伝わってくる。玉城司訳注『一茶句集』(角川ソフィア文庫)では「生き延びて新年を迎えたなあ。愚かに生きた上に、また愚に戻って行く」としている。

解説では、一茶がこうした句を詠んだ背景に各地を俳句のつてで放浪しながら生きてきたことへの感慨、複雑な思いがあるとしている。

もともと農家の生まれだった一茶には、定住へのあこがれがある。俳句というものを通じて何とか生活はできたが、それでも安定してはいない。各地のパトロンを訪ねて気遣いしながら生活することへの自己嫌悪があると言っていい。

同じ立春を詠んだ句には「春立や菰(こも)もかぶらず五十年」というものもある。乞食(こじき)にもならなかったこれまでを振り返って安堵(あんど)した気持ち。最後に故郷に帰った一茶には、やっと定住できる喜びがあったのだろう。一茶の句にあるユーモアはそんな苦難の生涯が反映しているから、読む者の心を捉えるのである。