
冬の里山を散策しているとよく出会うのは、鳥たちを撮影しようとしているカメラマンたちだ。東京都八王子市にある平山城址公園も、里山を保存した自然公園で、園内は野鳥のオアシス。
北中央口からさくらの道を下り、猿渡の池のほとりでカメラマンを見掛けた。池の島にサカキの木が生えていて、その黒い実を小鳥たちが食べに来る。彼に教えてもらうとシロハラとアオジだという。
池のそばには四季折々にやって来る鳥たちを紹介するプレートがあったが、彼はよく来ているらしく、「ほとんど当てにならない」と言う。過去に姿を見せたというにすぎず、何が来るかは未知。
ところで、鳥を観察することの面白さを知らなかった気流子に、それがどれほどわくわくさせるか、納得させてくれたのは歌人たちの歌だ。故石川恭子さんの歌集『黒天球』の中に「白鳥の沼」と題する連作がある。
「白鳥を神話の鳥とながむればいよよつめたしかがやく白は」。その高貴な白い色を愛(め)で、頸の湾曲の美しさにほれ、群れの静かなたたずまいにうっとりとする。そして彼らの生命の軌跡を想像するのだ。
「白鳥ら群れて舞ひ舞ふ北国の天地を語れ故郷を語れ」と詠み、シベリアからの数千㌔の旅の様子を知りたいと訴える。白鳥はもはや作者にとっては親しい友人なのだ。野鳥撮影の本をめくっていたら心構えが記してあった。撮影に先立ってよく見て、よく知ること。この歌の作者のようにだ。



