【上昇気流】(2022年11月27日)

秋の散策路

国内外の旅が盛んになって各地の観光地の話題がニュースになっている。海外からの観光客も戻りつつある。一時期のようなインバウンドの盛り上がりまではいかないが、緩やかに回復傾向が進む。

特に、今の季節は紅葉が見ごろだ。電車に乗って車窓から見ると、山々に紅葉が美しい。だが、そんな山ばかりではない。木々が落葉して裸木になったばかりの山もある。いさぎよいと感じることもあれば、寒々しい寂しさを感じることもある。どちらも間違いではない。印象とはそんなものだ。

気流子は散歩をするようになって、近所の景色の移り変わりを感じるようになった。つい最近、大きな樹木に囲まれていた屋敷が解体されている現場に遭遇した。門もあり、庭木によって一軒家の奥行きがあったが、更地となって意外と狭い空間であることを知った。

「櫛の歯をこぼれてかなし木の葉髪」(高浜虚子)。かつて俳句の季語の「木の葉髪」がよく分からなかったことがある。イメージとしては髪が木の葉のように乱れているというものだった。

実際は「ようやく冬めくころ、木々の葉が落ちるように、人間の毛髪が常より多く脱けるのをいう」(稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』)。枯れ葉と毛髪という対比は、なるほどと思う。

最近、辞任する閣僚が多いが、これも木の葉髪に例えることができるだろうか。いさぎよいと見るか寂しいと見るか。季節の深まりとともに思うことが多い。