【上昇気流】(2022年11月20日)

コーヒー

「銀杏散る我が珈琲にも一つ落ちよ」(仙田洋子)。東京郊外の私鉄沿線には、近くに喫茶店がある駅とない駅があるようだ。ちょっとひと休みしたい時にはあると便利である。

コーヒー好きには、こだわりの豆の種類があるのだろうが、気流子の場合はブレンドかアメリカンを頼むことにしている。コーヒーを飲むというよりは、その時間を楽しむという感じかもしれない。

コーヒー通には必ず行きつけの店がある。そこで一定の時間を過ごすというのがルーティン。そんなコーヒー好きは砂糖もミルクも使わないブラック派が多いようだ。気流子もブラック派だが、これは健康を意識してのこと。

気流子が利用していた駅の近くにもチェーン店の喫茶店があり、人と会うときや読書室代わりに利用していた。駅から降りてくる人、駅に向かう人を見ながらコーヒーを飲むとさまざまな感慨に誘われる。だが、その店がいつの間にか閉店し、しばらく空き家になっていた。

コーヒーを飲むためには、一駅歩くか電車に乗るかしなければならない。残念に思っていると、別の会社で再開されるとのチラシが張ってあった。元の店を再利用しており、懐かしい思いで入ってみた。

コーヒーは西洋文化の象徴と言っていいが、文学者にはコーヒー好きが多いようだ。エッセー集『こぽこぽ、珈琲』(河出文庫)には、内田百閒、吉田健一、山口瞳、村上春樹らの文人がコーヒーの思い出を書いている。