【上昇気流】(2022年11月13日)

俳句

「秋の夜や旅の男の針仕事」(小林一茶)。江戸時代は電車や車のような便利なものがなかったので、遠出する時は足を使って歩いた。大名の参勤交代などを除けば長旅はほとんどなく、基本的には近郊への旅だった。健康でないと満足に歩くこともできないし、旅行自体も一般的ではなかった。

旅が普及したのは、伊勢参りのような神社仏閣参拝が盛んになってから。風雨をしのぐのも笠(かさ)やかっぱなどで、途中で衣服が破れれば自分で繕わなければならない。一茶の俳句は、そうした旅の苦労を詠んでいる。

一茶にしても、物見遊山で旅をしていたわけではない。宗匠として弟子の俳句を添削するだけでは生計を維持できない。地方の豪農などのパトロンを見つけなければならなかった。そのため、他の宗匠が開拓していない地方を歩き回ったのである▼俳聖と呼ばれた松尾芭蕉も、名所旧跡を旅することで俳句の境地を深めると同時に、各地に存在するパトロンたちへのあいさつ回りをしていた面がある。今でいえば歌手やタレントの地方巡業のようなものだった。

豊穣の秋は、1年の作物の収穫も終わって紅葉の名所や温泉で骨休めをする季節でもある。特に紅葉の風景は、精神を落ち着かせる効果があるようだ。成熟と重なるからだろうか。

ことわざの「かわいい子には旅をさせよ」は、こうした江戸時代の事情が背景にある。旅を通して世の中の苦労を体験させることで成長させる意味がある。