
「秋深き影藤棚の下広く」(高浜年尾)。散歩していると、枯れ葉を踏み、乾いた音を立てる季節となった。枯れ葉によって秋の深まりを知るのだが、枯れ葉は掃いても掃いても溜(た)まっていく。
散歩コース途中に、幾つか小さな公園がある。少し前までは遊んでいる家族連れが見られたが、今はほとんどいない。ベンチに休む人もまれで、辺り一面静かなたたずまい。
ジャングルジムやブランコなどの遊具も使われていないと、どこか寂しい印象がある。気流子の子供時代は公園が少なかったので、近所の広場が遊び場だった。当時は、空き地さえあればそこを遊び場にしていた時代である。
子供にとっては、住んでいる場所にある施設や広場はどれも遊び場となった。神社や寺の境内もそうだった。故郷に帰った時、その広場を探したが、ほとんどなくなっていた。自然の地形はそれほど変わらないが、子供時代の遊び場所は消え去っていた。
近所の住宅地の一角に小さな石碑が建てられているのを見掛けた。馬頭観音を祀(まつ)る石碑だった。明治時代、村の地主が馬を飼っていて、その供養に建てたものらしい。馬頭観音はインド系の神仏だが、民間信仰で馬などの守護神となって江戸時代に信仰を集めた。
背景に、かつて馬は人間にとって家族のような存在だったことがある。近代的な都市になって子供の遊び場が少なくなったが、素朴な民間信仰が今も生きていることには感動を覚える。



