
気流子の自宅から最寄り駅へ行く途中に神社がある。創建は昭和31年。私鉄会社から寄贈された新興住宅地内の土地に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した新しい神社である。地域住民の信仰の拠(よ)り所となっており、初詣には行列ができ、節分の豆まきや七五三の行事も行われる。
とはいえ日頃、参拝する人は稀(まれ)だった。それが新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)以降、明らかに参拝者が増えたのである。鳥居の前で簡単な拝礼をする人をよく見掛けるし、本殿で正式に参拝する人もいる。
コロナ蔓延の中、ワクチン接種はもちろん、マスク着用や手洗いなどを励行しても、いつ自分も感染するか分からない。そんな不安と不確実性の中で、人間を超えた見えない力によって守ってもらおうという気持ちになるのはごく自然な心の動きだろう。
そんなことを考えながら、ふと不思議に思ったのは、近くに神社はあるが、寺がないことである。インターネット上の地図を調べてみたが、卍のマークは近くに見当たらない。
この新興住宅地に住みだした人々の多くは、実家の菩提寺がある。また仏教の場合、宗派が違うと葬式も挙げられない。
その点、神社は祭神が異なっても、日本人であれば大体、違和感なくお参りができる。ちなみに八幡宮を勧請した神社の御祭神は、応神天皇と神功皇后。そういう面でも神道というのは、やはり日本人を束ねる宗教であることが分かる。以上、コロナ禍での素人宗教社会学の研究報告。



