【心をつむぐ】なぜ人は「献金」するのか

ロザリオとお金

ドイツの哲学者クリストフ・トュルケ氏は独週刊誌シュピーゲルのインタビュー記事(2015年5月16日号)の中で「『お金』の誕生には宗教的起源がある」と興味深い視点を明らかにしている。

同氏によると、人類はいつからか分からないが、「高き天上にいましたもう存在(神々)」に対して罪意識があった(キリスト教では原罪)。そして、全てを無にする天災を回避するために、神々に対し、罪を償わなければならないと感じてきた。神々の怒りを鎮めるため最も大切なものを供え物として捧(ささ)げてきた。

「供え物」の歴史を振り返ると、最初は人間が供え物となった。旧約聖書「創世記」のアブラハムのイサク燔祭(はんさい)はその典型的例だ。その後、金、銀、銅といった貴金属がその贖罪(しょくざい)手段として登場してきた。「お金」は本来、贖罪手段であり、「支払う」とは贖罪のために供え物を捧げることを意味したことになる。

21世紀に生きる私たちは古代人のような罪意識や贖罪感を持ち合わせていない。しかし、天災は昔のように襲ってくる。現代人が感じる漠然とした「不安」は、天災を回避するために必要な贖罪を支払っていない、という後ろめたさに起因するのではないか。

献金する信者の行動は「お金」のルーツから見れば不思議ではない。献金を捧げることで人生の苦悩の輪(禍)から逃れたいという思いは、人類歴史が始まって以来、消滅することがなかったからである。

(小)