
<曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径>。木下利玄のこの名歌を、高校時代の現代国語で習ったという中高年の人は多いだろう。きょうは秋分の日で、お彼岸の中日。この時期になると、一般的には彼岸花の名で呼ばれる曼珠沙華を詠ったこの歌が浮かんでくる。
久しぶりに自宅近くの緑道を歩いていると、先日の台風で落とされた木葉が散らばる中、彼岸花の一叢(ひとむら)があった。細い茎が折れていたのもあったが、鮮やかな紅色が目に沁(し)みた。
利玄は彼岸花が好きだったようだ。「その紅のそっくりかえった花辨は、まだ炎威を残している秋の陽に照り映えて、毒々しいまでに燃えている。小高い丘の墓場に固まって咲いているのを見ると、不思議な寂しさを心に投げかける」と自註(じちゅう)で述べている。
利玄は丘の上の墓地に咲く彼岸花を詠んだが、田んぼの畔道(あぜみち)などにも植えられているし、野原一面彼岸花という名所もある。昔ちょうど今頃の時期に京都の嵯峨野を歩いた時、田んぼの緑色の畔に列をなす彼岸花の紅が映えていた風景がなぜが目に焼き付いている。
彼岸花の名の由来は、この花がちょうどお彼岸の頃に咲くからだろう。だから連想が、墓参りや墓地に結び付くのも不思議はない。
しかしそれにしても、他の秋の花々とは一風違った、まさに此岸(しがん)と彼岸を結ぶような色、形の花が咲くのは不思議な気がする。自然と人文が融合して、名歌も生まれるわけである。



