
明治の文豪・夏目漱石は、ロンドン留学中にビクトリア女王の死に遭遇した。1901年1月23日の「日記」に「昨夜六時半女皇死去ス」とある。外国人の漱石も、弔意を表するため黒のネクタイを着けた。
イングランド南部のワイト島の別荘、オズボーンハウスで亡くなった女王の柩(ひつぎ)はロンドンに移され、2月2日に葬儀が行われた。漱石は葬列を見るため、下宿の主人とロンドン中心部ハイドパークに出掛けた。
同日の「日記」には「サスガノ大公園モ人間ニテ波ヲ打チツゝアリ」とある。その人込みを掻(か)き分けて前に出たが、背の高い英国人の中では見ることができない。
仕方なく下宿の主人に肩車をしてもらった。「柩ハ白ニ赤ヲ以テ掩ハレタリ」とし、新王(エドワード7世)とビクトリア女王の血を引くドイツ皇帝(ウィルヘルム2世)らが付き従ったと記している。
ちょうど20世紀が始まった年の早々に、大英帝国の最盛期を現出した女王の死がもたらした影響は大きかった。「新しい世紀はどうも不吉な始まり方をしましたね」と、黒手袋を買った店の店員の言葉を漱石は記している。事実20世紀は戦争と革命の世紀となり、2度の大戦の後、大英帝国は解体した。
21世紀の今、エリザベス女王の荘厳な葬儀の一部始終を、われわれは日本でテレビで観(み)ることができた。漱石の時代とは大変な違いであるが、女王の存在の大きさ、英国人の喪失感と不安は共通するものがあると思われる。



