【上昇気流】(2022年9月17日)

適塾所蔵『解体新書』(Wikipediaより)

日本の近代科学の出発点は江戸時代後期の1774年――。そんなお話を東京工業大学名誉教授の道家達将氏からお聞きしたことがある。

その理由はこの年、「解体新書」と「天地二球用法」の蘭書和訳本が2点完成したからだという。前者は杉田玄白らによる翻訳の人体解体図。後者は長崎の通詞、本木良永訳のコペルニクスの地動説に基づく天球儀と地球儀の使用法だ。

それを機に医学や化学、ニュートン力学の解説書などが次々と訳され、幕府の鎖国政策下にありながら、近代科学の基礎となる学説が日本語で読めるようになった。

道家氏によると、蘭学者がまるで合言葉のように使った4種類の言葉がある。それは実験、真と実、生民広済、四民平等。蘭方医は人を救うため、実験によって事実を知り、実技を会得したいと励み、司馬江漢は身分を超えて「皆もって人間なり」と唱えた(『科学と技術の歩み』岩波ブックレット)。

良永の子孫に本木昌造がいる。幕末期に木版印刷より優れた活版印刷に出会い、通詞の傍ら長崎に活版印刷所を造り、維新後は東京・築地に本格的な活版製造所を創業した。そこを起点に日本初の日刊紙「横浜毎日新聞」が生まれた。

日本印刷産業連合会は9月を「印刷の月」と定めている。それは昌造の命日(1875年9月3日)に由来する。印刷に関わる人は今、どのような合言葉を持っているのか。江戸期より退化していないか、自戒したい。