【上昇気流】(2022年9月7日)

松本清張 (Wikipediaより)

没後30年にちなんで『文豪ナビ 松本清張』(新潮文庫)と題する本が刊行された。中では森村誠一氏の書いたものが面白い。

森村氏がある文学賞を受け、受賞式会場のホテルへ行ったところ選考委員の清張が来た。森村氏の存在には気付かず、彼は編集者を呼んで受賞作である森村作品のあらすじを教えるよう命じた。

聞き耳を立てていた森村氏は、清張が自分の作品を読んでいないことを知った。無責任だと思いながらスピーチを聞くと、恐ろしく的確だったので敬服したという話だ。

読まずに審査するのは不正だが、近年も人気作家が読まずに選考した疑惑があって選考委員を辞任した事件があった。「読まずに選考」は大衆文学の世界では時にあったようだ。選考委員の肩書は手放さぬまま、選考すべき作品は読まないとの悪しき風習は残っている。

森村氏が受賞した文学賞には奇妙な慣習があった。受賞者は各選考委員の自宅を訪問して謝意を表する。森村氏は6人のうち5人は済ませたが、清張だけは「多忙」との回答だった。アポなしで清張邸に飛び込むと、玄関先で「頑張りたまえ」の一言。

「訪問がみじめに思えた」と森村氏は回想する。清張は反権力の文学者と評価されている。苦労人だから若い頃の記憶の中には思い出したくないものも多かったはず。が、反転して文壇の実力者となれば尊大な振る舞いに出る。業績はそれとして、ある種の成功者にしばしばある話には違いない。