全廃条約に調印するゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(左)とレーガン米大統領(ともに当時)=1987年12月、ワシントン(AFP時事).jpg)
ソ連最後の最高指導者で東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が亡くなった。ロシアのウクライナ侵攻に対して、自身が創設した「ゴルバチョフ財団」が「人命に勝る価値はない」として、和平交渉を求めていた。その死は、民主派の衰退を象徴するようにもみえる。
ゴルバチョフ氏が「ペレストロイカ(再建)」や「グラスノスチ(情報公開)」を推進したのは、社会主義ソ連の延命のためだった。しかし、それは結果的にソ連崩壊へと繋(つな)がった。歴史はしばしば人間の意図と予測を超えた展開を示すが、ゴルバチョフ氏の中に世界を明るい方向に導く何かがあったようにも思える。
冷戦終結の立役者としてノーベル平和賞を受賞し、世界的に評価される一方、ロシア国内では評価が定まらない。ソ連崩壊を「20世紀最大の悲劇」とし、帝国の復活を目論(もくろ)むプーチン大統領とは対照的だ。
強権主義的なプーチン氏と、民主主義的思考のゴルバチョフ氏との対照は、ロシア文学史でいえば、ドストエフスキーに代表されるスラブ派とツルゲーネフに代表される西欧派にも重ならないではない。
ロシアの文学史や思想史は、西欧文化の受容と葛藤の歴史であったと言える。その中で優れた文学者、思想家を輩出してきた。
今起きているロシアとウクライナの悲劇も、このスラブ派と西欧派という歴史的テーマを、冷戦後のロシアの知識人が昇華できなかったことにあるのかもしれない。



