
俳句や短歌には、伝統的な約束事、季語や枕詞(まくらことば)があることはよく知られている。
といっても、今では枕詞はほとんど死語になって使われることがないが、なぜこうした形容詞のような言葉が使われていたのだろうか。
俳句の季語ならば、自然の中にある季節感を通して詩的な感興を添えて、伝統的な韻文に一体化するような面がある。
季語は面倒な制約のように思われるが、案外、季語という不自由さを通じてかえって自由な表現が生まれて来ることを否定できないだろう。
もともと、五七五という限られた制約があるので、不自由さを感じてしまうが、それがかえって新しい表現への起爆剤になると言っていいかもしれない。
しかし、短歌の枕詞の場合は、そうした制約ではなく、地名などに不即不離についた形容詞、それ以外には使われない制約がある。
要するに、枕詞は柱に塗られた塗料のように、地名などの本体とつかず離れずの表現であると言えまいか。
そのために、その枕詞を自由に使うことができない。柱が古びてしまうと塗料も剥げてしまうといった関係ではないか。
自然の地名などの美しさをたたえる枕詞も、自然が荒廃し変われば、その自然とともに変わっていかざるを得ない。
おのずから枕詞も衰退していく、といったことが考えられるのだが、どうだろうか。
(鷹)



