
福井県敦賀市の「人道の港 敦賀ムゼウム」は敦賀港のすぐそばに立っている。一昨年秋にリニューアルし、3棟からなり、広々とした館内は関連資料や映像を駆使して、「人道」に尽くした敦賀の歴史を紹介している。
物語は今から100年余り前にさかのぼる。敦賀はシベリア鉄道「欧亜国際連絡列車」で対岸のウラジオストクと欧州を結ぶ国際港として栄えていた。その歴史には二つの大きな出来事が語り継がれている。一つは1920年代、ロシア革命の動乱の最中、シベリアで家族を失ったポーランド孤児たち765人が敦賀に上陸し、無事に母国に帰ることができた。
その20年後には、リトアニアの外交官だった杉原千畝が発給した「命のビザ」を携えて、ユダヤ難民がここに上陸した。その数は6000人余りとされ、上陸後、アメリカや欧州に移り住み、迫害を逃れることができた。
当時の敦賀市民は、困難な旅路の末にたどり着いた孤児や難民たちを温かく迎えた。彼らが敦賀に滞在したのは、敦賀港から駅までの3キロ余りの道程(みちのり)だったが、市民は彼らの苦痛が少しでも和らぐようにと、食料を与えたり、入浴させるなどして激励。敦賀が「人道の港」と名付けられるゆえんである。
展示されているリンゴは、市民の一人が難民に届けたと記録され、「人道の港」の象徴的な存在になっている。ちなみにリンゴはレプリカで、年中展示されている。
(仁)



