【上昇気流】(2023年4月6日)

「ショスタコーヴィチは、たとえ友人たちが相手であっても、常に相手が望むことを言うという習慣を身に付けていたようだ」――。英国の音楽ジャーナリスト、スティーブン・ジョンソンさんが『音楽は絶望に寄り添う』(河出書房新社)で記している。

この音楽家は、スターリンの恐怖専制統治時代に数多くの名曲を生み出し、本も書いたが、本当の姿は謎のまま。自由にものを言うことのできない環境で生きたからだ。この状況は今のロシアでも変わらないだろう。

傑作「交響曲7番レニングラード」は、ナチス・ドイツとの戦いを描いたとされている。が、第1楽章がナチス侵攻前に書かれていたことを友人は知っていた。映画「剣の舞 我が心の旋律」でもその場面が登場する。

「あの怒りはヒトラーではなく、スターリンに向けていたのだろう」と質問すると、ショスタコーヴィチは「そんなことどうでもいい」と答え、問題にしない。返答してはいけない質問だったのか。

ところで、音楽を聴くとはどういうことなのか。音楽評論家の場合も、簡単ではないようだ。小紙で音楽時評を連載した故中河原理さんは、レコードやCDで聴き、楽譜を読み、演奏会で聴く。

そのように作品を聴いても五里霧中。さらに何度か聴いて、楽式楽想が頭に入り、表情の陰影や、作曲家の手練手管も分かり、徐々に内部を染め上げていくという。「レニングラード」もそう聴いてこそ心に沁(し)みてくる。