童謡文化の広がりを推進力に 震災から12年 復興続ける福島県広野町

第25回ひろの童謡まつりで、コンクールから生まれた「みかん」を合唱する広野小学校の児童ら=広野町復興企画課提供

平成23年の東日本大震災の津波で犠牲者を出し、原発事故で一時は全町避難を強いられた福島県広野町は、童謡文化を復興・創生の推進力に位置付けている。平成6年から続く「ひろの童謡(うた)まつり」を土台に新年度、「広野町童謡の日」を制定して子供の情操を育む歌の魅力を伝えようとしている。こうした文化に軸足を置いた街おこしの取り組みが県内に広がっており、県内外から期待が寄せられている。(市原幸彦)

子供の情操育む歌の魅力伝える

地元の大学などが連携 学生の若い感性に期待

広野町は、唱歌「汽車」の歌詞「♪今は山中今は浜…闇を通って広野原」で知られ、また「とんぼのめがね」の舞台としても知られる。町は、童謡の継承と子供たちの郷土愛を育むことを目的として、歌手や地元の子供らが歌う「ひろの童謡まつり」を毎年開催すると同時に、日本童謡協会との協力による公募のコンクールで新たな童謡を生み出してきた。震災後は、町民が絆を強め、復興へ心を一つにする場ともなっている。

町は、童謡文化を町民のよりどころとしてより高めるとともに、全国で「童謡といえば広野」と言われるまでに知名度を上げ、帰町や移住の呼び水にしたい考えだ。町は今年2月、「とんぼのめがね」を作曲した平井康三郎さんの孫で、英国を拠点にピアニスト・作曲家として活動する平井元喜さんに「広野夢大使」を委嘱した。

一方、「赤とんぼ」を作詞した三木露風の出身地で、同じく童謡の街づくりを進める兵庫県たつの市と平成30年に交流協定を結んでいる。締結日の10月5日を共に新たに「童謡の日」と定め、「日本一の童謡の里づくりのまち」に拍車を掛ける。

「ひろの童謡まつり」は、コロナ禍の影響でいったん中止していたが、昨年10月、4年ぶりに25回目を開催した。福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校や南相馬市のMJCアンサンブルなど6団体が参加し、町童謡大使・県教育復興大使の眞理ヨシコさんらゲスト歌手が出演。コンクールで生まれた「ザリガニくん」「みかん」、兵庫県たつの市で生まれた「赤い花咲いた」などを披露した。

町の復興企画課では「童謡まつり、地元で生まれた曲、それをモチーフにした絵本など、積み上げてきた財産に多くの人が触れられる環境づくりを進めたい。童謡にゆかりのある自治体との結び付きを強め、各地の学校や生涯学習の場などで幅広い世代に紹介してもらう仕組みづくりも進めたい」としている。

このような動きに、積極的に関わっているのが、いわき市の「東日本国際大学」と「いわき短期大学」だ。県浜通り地域の産業を回復するための国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」の下、平成27年、両校と広野町との地域連携協力に関する協定が締結され、教育文化、地域経済、福祉環境、まちづくり、人材育成など幅広い分野での連携、協力が進められている。

学生が幼稚園・小学校・中学校で児童・生徒の指導に当たり、学生のインターンシップなどを町が受け入れるなど。平成29年、両校が広野町に「広野センター」と「福島復興創世研究所」を開所。特に町民の心のケアや復興支援を実施している。これには、大正大学(東京)も連携し、広野町「心の復興スタディツアー」に参加したりしている。

その一環として、「ひろの童謡まつり」に向けたまちづくり実行委員会には毎回、両校の福祉環境学部の学生が実行委員やボランティアとして参加。童謡作詞コンクール課題部門のテーマの決定や、作品募集時のSNSの活用方法など、若い感性が期待されている。

広野駅東側は津波で特に大きな被害を受けたが、町の復興拠点となり、今では近代的なデザインのオフィスビルやホテルが並び、新しい住宅地も造成された。一方、西の中山間部の箒平地区の居住者は大幅に減少した一方で、名曲の原風景とも言える美しい里山が残されている。町は、「保全活動を進めながら交流や移住を促していけば、童謡文化は広がりを増すはず、復興の足掛かりになる」と睨(にら)んでいる。

復興企画課では「『とんぼのめがね』は戦後の混乱期につくられ、子供たちの心を和らげたとされる。童心に溶け込む言葉で紡がれた童謡の持つ力を見つめ直し、教育機関と互いに協力する事で、復興に向けて前進していきたい。複雑化、高度化する地域課題の解決につながると期待している」と復興の核になることを期待している。