【上昇気流】(2023年3月26日)

乾通りの一般公開で、散策を楽しむ人たち 25日午前、東京・皇居

桜が咲いているのに、数日にわたって冷たい雨が降っている。もう散ってしまうのではと気がもめている人もいるだろう。桜は開花も早いが散るのも早い。まさに、平安時代の在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだように「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。

雨のことを思っていると、自然に「桜雨」という言葉が浮かんだ。いかにも季語にありそうな言葉だが、いつも頼りにしている稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には見当たらない。と思っていたら、季語としては「花の雨」がそれに当たるらしい。

俳句では「花」と言えば桜を指すから「花の雨」は桜雨のこと。それでは詩情が少しばかり足りない気がする。桜雨の方が情感があるのではと思ってしまう。

「花の色流して雨もさくら色」(今井千鶴子)。現在は海外からの花も多い。花がそのまま桜を指す時代のイメージが薄くなっているのではと思う。言葉の変遷が俳句の「花」を一般名詞のような印象にしていることもあるかもしれない。

桜の季節は、人生における転機の時期。卒業式や入社式、入学式などがある。桜は出会いと別れの象徴である。どちらのイメージが強いかは人によって違うだろう。時期としては卒業式に近いが、遅い桜であれば入学式。どちらも捨て難い。

桜の季節、雨は無情と言ってもいい。だが、それを桜雨と呼んでみると、心がほのかに温かくなる。桜はやはり日本人の花であることを実感する。