
ダンテの『神曲』は、山川丙三郎(1876~1947)の邦訳が、イタリア語の原語からのもので地道な研究に裏付けられ、現在14種類ある日本語訳の中でも最も格調の高い優れた訳とされている。
山川は、新潟県新発田(しばた)の士族の家に生まれ、北越学館で学び、宮城県仙台市の東北学院に編入学した。このとき、学院の英語教師として1年ほど仙台に滞在した島崎藤村と出会っている。山川20歳、藤村が23歳だった。
ある日2人は松島で舟遊びをした。藤村は、森鷗外に導かれて読んだ『神曲』(英文)から、深い感銘を受けたばかりだった。その2人が『神曲』について話をしなかったはずはなかった、と東北学院大学の下館和巳教授(演劇、英文学)は指摘する(「東北学院時報」2007年4月15日)。
その後、山川は米カリフォルニア大学バークレー校に留学する。下館氏によれば、山川の類いまれな語学力と素質と詩的感性は、この留学生活と、藤村らとの出会いによって磨かれ、ある高みに達していった、という。
帰国後、1914年から1922年にかけて極貧の中で『神曲』を翻訳。その功績を買われて東北学院の英文学の教授に、のち名誉教授となった。
(市原幸彦)



