企画展「江戸から明治へ 三つの家のファミリー・ヒストリー」

武士、商人、鉱山経営者の歴史

実録資料を展示 秋田県立博物館

上は、升屋の薬舗開業鑑札など。下は、明治末から大正期頃の太良・院内の鉱山絵葉書=秋田県立博物館

江戸から明治へと移る激動の時代、秋田藩士の菅生家と商人・升屋家、そして鉱山の重役を務めた小林家はどのような歴史をたどったのか?あまり知られていない時代に焦点を当てた企画展「江戸から明治へ三つの家のファミリー・ヒストリー」が秋田県立博物館(秋田市)で開かれている。

同館の収蔵品総数は19万点を超えた。上記の3家は、近年寄贈された資料を整理解読した「新着・収蔵資料展」(約250点。4月2日まで)の中で紹介されている。

まず武士の菅生家だが、維新後は鉱山業や印刷業に従事し民業への転身を果たした。平成26年に東京都の菅生氏から寄贈された家伝来の文書からは、久保田城での正月行事や藩主の葬儀場の図など武家の生活が分かる。

文化4(1807)年4月にはロシア船が択捉島(えとろふとう)を襲撃したのを受け、幕府は奥羽諸藩に蝦夷地(えぞち)への派兵を命じるが、菅生百兵衛は鉄砲与力の1人として派遣されている。

菅生正男は宮田又鉱山(現大仙市協和荒川)の開削事業に協力したため、明治17(1884)年に同鉱山の発起人3人の名前で株券を授与された。同館によると「当時の同鉱山の経営状況はほとんど分かっておらず、この資料が新たな手掛かりになるかもしれない」という。

一方、城下町商人の升屋家は、国から薬舗の営業許可を受け薬局を経営した。明治13年の秋田県発行「薬舗開業鑑札」、23年の内務大臣発行「薬舗開業免許」が展示されている。

升屋家は紙問屋・那波(なば)家の分家で、久保田茶町(現秋田市大町)に住み、茶・紙の売買や質屋を営み、藩の御用聞きも務めた。

寄贈資料の中には、大町・茶町を中心に慶長7(1602)年から延亨5(1748)年までの年代順の記録や、秋田藩に対し、茶・紙・砂糖・畳表・傘など茶町の家督物を他所で売買するのを規制する願い出などがある。

一方、小林家は藩が所管する鉱山の重役だったが、維新後は鉱山経営者が幾度も交代する中、一貫して鉱山業に関わり続けた。

江戸時代から明治時代まで、秋田の鉱山業に従事し続けた記録は貴重で、江戸時代の太良(たら)鉱山の沿革記事や、明治初期の経営体制転換に関わる記録がある。太良・院内の鉱山絵葉書も貴重だ。入場無料。毎週月曜日休館。

(伊藤志郎、写真も)