百円均一本が開く出会いの世界

『早稲田古本劇場』を書いた向井透史さん

早稲田古本劇場』(本の雑誌社)

東京・西早稲田の「古書現世」店主、向井透史さんの『早稲田古本劇場』(本の雑誌社)が好評だ。月刊誌『Hanada』連載中のエッセー約10年分をまとめた。古本屋の日常を自然体でつづり、それがエンターテインメントとなっている、そんな不思議な味わいを持つ本である。(特別編集委員・藤橋進)

本と人が織り成すドラマ

「理想の本屋」求め若い人の参入も

早稲田通りの「源兵衛子育地蔵尊」の角から通称、地蔵横丁を入った所に「古書現世」はある。看板には「珍しい本が安く買える店」の文字。看板に偽りはなく、記者(藤橋)も、店頭の百円均一のワゴンで、面白い本をたくさん買わせてもらった。

 むかい・とうし 1972年東京生まれ。柔道に明け暮れる高校生活を送った後、なんとなく手伝っているうちに父親が独立開業した「古書現世」を受け継ぐ。著書に『早稲田古本屋日録』(右文書院)、『早稲田古本屋街』(未来社)がある。

本書は次のような文章で始まる。

〈八月某日早稲田という街は大学の街であって、大学が休みの季節はどうしてもつらい。ぼーっとしていると、無人島で店を開いているのではないかと思うことがあるほどである。それこそ、岩の間からしずくがポタポタと落ちてくるのを掌で受け止めるように、外に出ている百円の本を売って日々の糧に変えているというのが今の自分である〉

大抵は店の奥の帳場にでんと座ってパソコンを操作している向井さん。購入する本を出すと、かわいらしい笑顔で「ありがとうございます」と言葉が返ってくる。最近はネット販売が売り上げの4割ほどを占めるが、店頭の百円均一本は「主力の一つ」と言う。

「本というのは人によって価値が違うじゃないですか。こちらとしては処分したい本でも、お客さんとしては、探していたり欲しかった本だったりする。そのあいまの面白さが百円本の魅力だと思います。対応していても、すごく面白い。この本に出てくる面白い人は大体百円本のお客さんです」

先代の父親の時はジャーナリズム関係書のほぼ専門だったが、だんだんその分野のものが売れなくなり、コンセプトを解体して、近現代史を主力商品として位置付けている。平日のお客さんは、ほぼ100%先生や学生など大学関係者。土曜日は一般のお客さんで、地方からやってくる人も少なくない。

「早稲田の古本街は、神保町のように専門化していないので、どこに何があるのか、ちょっと分かりづらいですが、昔は街全体を一つの本屋のように見る人が多かった。小さい店が多いですが、ほぼ一回りすると結構満足できると」

その早稲田古本街、かつては30軒ほどあったが、店主の高齢化や後継者不足で今はその半分ほどに減った。ネット販売が中心で開いていない店もある。その一方、若い人でこの業界に入ってくる人も増えている。

「最近多いです。新刊と古本を一緒に販売し、店舗も今風のおしゃれな感じにして、自分の理想の本屋をつくりたいという30代、中には20代の人もいます」

新型コロナウイルス禍で、大変な時期もあったのでは。

「大学も休校となり一時はどうなるかと思いましたが、古書店も給付金の支給対象となり助かりました。もともと低空飛行ですから、落ち幅も小さいんです。それより、わざわざ地方から来て下さる方がいたり、ネット販売が増えたり、『Hanada』の読者の方からは、お金はいらないので役立ててくださいと、地元のお菓子と一緒に本が送られてきたり。いろんな人に支えられていることを理解する切っ掛けになりました」

売り物となる古本の買い取りのため、持ち主の家を訪ねるのは重要な仕事だ。古本業の醍醐味(だいごみ)があるという。「ずかずかと人の家に入って、一番パーソナルな部分を見るわけですから。ぱっと本棚を見ると、その人がどういう風に本を集め、読んできたかが分かります」

ある時、亡くなった夫の蔵書の買い取りを依頼され、運ぶ寸前まで作業をしたところ、どうしても奥さんが処分する気になれなくなって中止。2年後に、その奥さんが体調を崩し元気なうちに本を見送りたいとまた連絡が来た。そんな経験も一度ならずあった。「亡くなったご主人がどういう風に本を買い大切にしてきたか、それを見てきた奥さんにとって、本はご主人と直結しているんです。買い取りにうかがった我々も、本と人とのいろんなドラマに遭遇する」

それにしても、決して儲(もう)かる仕事とは言えない古本屋を続ける理由は、と最後に聞いた。

「僕もこの仕事を始めて30年を超えましたが、今でも、こんな本が出ていたのかというような本との新しい出会いもあります。また本というのは、人に深く関わり、人そのものという面もあります。こうしてお店にいると、本との出会い、人とのやりとりを、エンターテインメントを見ることができる。他人には勧められないけど、自分は楽しんでいるようなところがありますが」