【上昇気流】(2023年1月20日)

銀座四丁目交差点

旧友と会うために久しぶりに銀座に出ると、外国人観光客の姿がかなり見られた。銀座通りを歩く7割方が外国人という新型コロナウイルス蔓延(まんえん)以前の印象からすればまだ少ないが、結構目立つ。

今でこそ銀座はデパートやファッションブランド店そして飲食の街だが、かつて銀座4丁目交差点の三つの角は新聞社の建物が占めていた。和光の所には、朝野新聞の建物があった。ほかにも時事新報や読売新聞、朝日新聞などがあり、銀座は新聞の街だった。

朝野新聞などが4丁目交差点から立ち退いたのは、日清戦争の時に政府寄りの世論が高まり、野党的な新聞の経営が難しくなったためという。新聞や出版との関係からか本屋も多かった。銀座でよく本を買ったという作家の故坪内祐三さんは『新・旧銀座八丁 東と西』(講談社)で、銀座は本屋の街でもあったと書いている。

昭和の高度成長期は、昼は若者、夜は大人の街だった。石原慎太郎、三島由紀夫が小説の舞台に書いた頃だ。それが今では、若者の姿は消え、外国人観光客がそれに代わっている。

ハンバーガーなどのファストフードを広めたマクドナルドの1号店がオープンしたのも銀座4丁目だった。海外の高級ブランドショップの出店で大きく変わったが、常に経済や生活スタイルの変化を敏感に反映している。

外国人観光客の動向から日本人の生活に至るまで、やはり銀座は今の日本を象徴する街だと言えるだろう。