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「自分はこの世で、自分自身以上の怪奇も奇跡も見たことがない。自分を知るにつれて自分の異形に驚く。ますます自分がわからなくなる」とモンテーニュ(フランスの思想家)が言っている。
自身への驚きがモンテーニュの人間観察の出発点となっていると引用者の前田速夫(はやお)氏は言う。モンテーニュらの老年の言葉を縦横に引用した前田氏の『老年の読書』(新潮選書/2022年)は、この世には「老年の読書」というジャンルがある!? という驚きを与えてくれる。
「他人に合わせて生きる人々は惨め」とセネカ(古代ローマの哲学者)は言う。純文学雑誌「新潮」の編集長を含め、人生の大半を編集者として送った著者は、この言葉は身に沁(し)みると認めつつ「だからといって自分は他に生き方があったのか」と2000年も前に死んだセネカに反論する。
編集者は作家という他人に寄り添うのが仕事の中心だ。セネカの言い分はまっとうなものには違いないが、大方の人はセネカ流の生き方を選ぶことは困難だ。
推理小説作家の山田風太郎も面白い。「死んでしまえば、はじめからいなかったと同じ」という言葉を残している。モンテーニュも似たようなことを言っている。「百年後に自分が生きていないことを悲しむのは、百年前に自分が生きていなかったのを嘆くのと同様、バカげている」。
「老年の読書」にふさわしい古人の豊かな言葉が、著者の苦々しくも自在な語り口で紹介されている。



