
岩手県盛岡市の原敬記念館で企画展「原達(とおる)―叔父・原敬(たかし)に期待された才人―」が開かれている。2022年は達の没後110年に当たり、写真や手紙、俳句などの実物資料百点余を通して生涯や業績を紹介する。
叔父の原敬は第19代内閣総理大臣を務め平民宰相(さいしょう)と呼ばれたが、実子がおらず、甥(おい)や姪(めい)たちをわが子のように愛した。中でも兄・恭(ゆたか)の次男・達に期待を寄せた。
成績優秀な達は、飛び級で名門の岩手県尋常中学校(現盛岡第一高等学校)に入学。俳人としては若手の有望株に成長し、正岡子規の弟子となって原抱琴(ほうきん)の名で活躍し、岩手県に近代文学の新風をもたらす。しかし父や叔父・原敬の理解は得られず悩むことになる。
さらに一高時代の19歳に当時「不治の病」といわれた肺結核を発病。子規の逝去や地元の俳人誌の終刊が重なり俳人としての活動を停止する。
その後、叔父の期待を受けて東京外国語学校仏語専攻、東京帝国大学法科大学(現東京大学法学部)の特待生までになった。しかし病魔は彼をむしばんでいき、明治45年1月、盛岡の自宅で逝去。享年28歳だった。
同館の資料には「温厚で誠実、ユーモアに富み豊かな才能を鼻にかけることもない達は、多くの者に慕われた。盛中以来の友人・野村胡堂は『原達君に心惹かれない者はなかった』とまで述べている。一高の同窓・鳩山一郎も『長生きしたら原敬以上だったろうな』と語っていたという」とある。同展は来年1月15日まで。
(伊藤志郎)



