スキンヘッドの“市民権” 韓国から

もう10年以上前だが、先輩格の韓国人記者と外で一緒に昼飯を取った帰り道、後ろから突然「このハゲオヤジが」と言われたことがある。驚いて振り向くと、韓国人記者の同僚が笑いながら近づいてきた。幸い(?)言われたのは韓国人記者の方で、彼はバツが悪そうにすっかり薄くなっている自分の後頭部を触って苦笑いした。中年男性たちにとって脱毛症はやはりコンプレックスになる。近い間柄とて、言われる方は傷つくものである。

ただ、最近は少し様子が違う。取材先で知り合った50代男性の場合、薄くなり始めた髪をまとめるより、いっそのこと全部そった方がいいと思ってスキンヘッドにしている。「10歳は若く見られるようになりました」と嬉(うれ)しそうだ。筆者が見ても、どこか自信に満ち溢(あふ)れているから不思議だ。筆者も娘に指摘され、薄くなり始めた自分の頭髪が気になっているが、韓国に居ても「いざとなればスキンヘッドもありか」と安堵(あんど)している。

韓国で頭を丸めると言えば、デモ参加者が抗議の印に悲壮な覚悟でやるイメージが強かった。それが今や芸能人にも見掛ける。ただし、本当に“市民権”を得たかは定かでない。前回の大統領選に出馬した現野党代表は公約に「脱毛症治療への保険適用」を掲げるほど育毛に執着する男性は多いし、何よりカツラが売れる。日本以上に競争が激しい社会で生きる韓国男性に抜け毛が多いのは納得だが、それに抗(あらが)いたい気持ちはまだ強いのだ。(U)