
「演技を客席に届けるのではなく、それよりももう少し奥にある何かに向かって捧げたいという気持ちが若い山崎努にはあった」と山崎努氏が書いている。『「俳優」の肩ごしに』(日本経済新聞出版/近刊)という自伝的な本の中だ。若い時だけではなく、今も同じ考えなのだろう。
目前には観客がいる。俳優は彼らに向かって演技するのだが、本心は観客の向こうにある「神々」のような何かに向かって演技するということだろう。だから「捧げる」のだ。
観客ではない「何か」に向かって演技することが、回り回って観客の感動を呼び覚ます。自分はそういうふうにやってきたということだ。むしろ、演劇の原点は神々だった。神々の中身はそれぞれだが。
演劇上のこうした考え方は「観客が全て」とか「お客様は神様」といったエンターテインメント風の発想とは一線を画すものだ。その点で「全てがエンターテインメント」としか考えない当代の観客にとっては、古くさい理想論に見えるかもしれない。
半面、山崎氏ほどの実力派の大ベテランが、一見古めかしい理想を語る場面があってもおかしくはない。
演劇がエンターテインメントであっても構わないが、それとは別種の「神々に向かって演技する」というやり方があってもいい。「神々経由」の演技もまたエンターテインメントの在り方の一つと考えても差し支えない。エンターテインメントの幅を広げる意味でも、山崎氏の演技論は貴重だ。



