
「大空の深きに落葉舞ひ上る」(高浜虚子)。散歩の道に落ち葉が少しずつ増えている。茶色や黄色の枯れ葉もあれば、まだ色づいていないものもある。絵葉書のような紅葉ではないが、それはそれで悪くはない。
枯れ葉を見ていると、フランスの詩人、ヴェルレーヌの「落葉」という詩を思い出す。訳詩は幾つかあるが、上田敏の『海潮音』のものが、言葉のリズムで不思議なメロディーを奏でていて風情がある。背景からシャンソンの物悲しげな歌声が聞こえてきそうなほど。
「秋の日の/ヸオロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。」(「落葉」の冒頭)。バイオリンも感情を揺さぶる楽器で、その音を聞いていると悲哀や寂しさを感じさせるものがある。
「落葉」も、その姿に落ちぶれた自分を重ねている。「鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。」。なぜか秋は、過去のことを追憶する気持ちにさせるようだ。「秋思」という言葉もある。
詩の最後は、いかにも漂泊の詩人であるヴェルレーヌらしい趣がある。「げにわれは/うらぶれて/こゝかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。」。どこか日本の俳人、種田山頭火のようなイメージさえある。
人生の終わりを象徴するような落葉ではあるが、それはまた木が冬に耐え、春を迎えるための準備でもある。このことを思えば、枯れ葉も満足しきった表情をしている気がする。



