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人間は考える葦(あし)である――。17世紀の仏哲学者パスカルの言である。人は宇宙にあっては水辺に育つ葦のようにか弱い存在だが、考えることができる。「我々の尊厳のすべては考えることの中にある」(『パンセ』中公文庫)。
神学者でもあったパスカルはこうも言う。「神を直観するのは心情であって、理性ではない。これがすなわち信仰である」。数字をどれだけ足しても数が多いという有限の域を出ず、無限には決してならない。同様に理性によって霊性の神を知ることはできない、と。
震災の犠牲者についてはどうだろうか。関西学院大学の金菱清教授は東日本大震災後、ゼミ生と宮城県石巻市や気仙沼市のタクシー運転手らが体験した「幽霊現象」を集めた。
ある運転手は乗せた女性の言う場所に行くと、そこは海岸に近い更地だった。「ここでいいですか」と振り返ると、後部座席には誰もいなかった(『霊性の震災学』新曜社)。
幽霊現象には伝聞だけでなく、乗務日誌やメーター記録など証拠の伴う目撃談もある。当初は驚きを隠せなかった運転手も“納得”して霊魂への理解を示したという。ノンフィクション作家の奥野修司さんも、さまざまな霊体験を『魂でもいいから、そばにいて』(新潮社)に著している。
きょうは国連が定めた「世界津波の日」である。人々に津波災害への備えを改めて考えるよう求めている。理性だけでなく、霊性においても「考える葦」でありたいと思う。



