【上昇気流】(2022年11月2日)

サッカー

スポーツには観客が付き物だ。無観客の競技の薄ら淋しさは、新型コロナウイルス禍で体験した。観客はいた方がいいに決まっている。スポーツには応援も付き物だ。スポーツでは特定の一方を応援することが多い。そこが芝居の観客との違いだ。

チームではなく、特定の選手を応援することも多い。時に、応援する人の思い入れが過度に強くなる場合がある。選手にとっては、強いストレスとなることも多いはず。

30年以上も前の小学校の給食の席。バナナの苦手な子供を「バナナを食べるようにみんなで応援しましょう」との教員の呼び掛けで、クラス全員が「ガンバレ」と叫んだ。好き嫌いを克服してほしいとの思いからだが、その子供にとってはプレッシャーとなることもあり得る。

特定のスポーツ選手への期待によって、応援する側は選手の活躍を常に望むことになる。中には、期待通りにいかないと打って変わって罵倒する人もいる。

選手にしてみれば「勝手に応援して、勝手に不満を言う」という気持ちだろう。さりとて、それを公にすることはできない。並外れた運動能力を持つ選手の全てが精神力が強いとは限らない。その点では彼らも普通の人間だ。

「スポーツ選手は生産者、応援する人は消費者」だとすれば、応援する人の優位は自明だが、選手側の事情を考慮する必要もあるかもしれない。ただ応援する側としては選手に活躍してほしいのは当然のことで、なかなか難しい。