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ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、祖国が第1次世界大戦に敗北し、多くの国民が犠牲になった苦い経験から、政治家はどうあるべきかを模索し、1919年に「職業としての政治」と題する講演を行った。その中で今日の政治学でもしばしば引用される政治家像を指し示した。
「政治とは情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫く作業」であり、いかなる現実にも挫(くじ)けないと言い切れる人間のみが政治への天職を持つ、と(『職業としての政治』岩波文庫)。
安倍晋三元首相の国葬儀で岸田文雄首相は、安倍氏が国会で「総理とはどういうものか」と問われ、「溶けた鉄を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない」とし「叩(たた)かれて、叩かれて、やっと形をなす鍛造品」と答えたと回想していた。鍛造品はウェーバーがいう「穴をくり貫く作業」と相通じていよう。
安倍氏はいかなる反対にも挫けず、平和安全法制など数々のレガシー(業績)を遺(のこ)した。菅義偉前首相は朴訥(ぼくとつ)と語る追悼の辞の中で力を込めて「(安倍)総理、あなたの判断はいつも正しかった」と言い切っていたのが印象的だった。安倍氏は政治を天職とした人であったと、つくづく思う。
「あれからも朝は来て、日は暮れていきます……高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。季節は歩みを進めます」。菅氏の言葉が一層、身に染みてくる。きょうから10月である。



