人間国宝・平良敏子さんの功績

第二尚氏時代の縦縞四つ目模様の芭蕉布着物(東京国立博物館所蔵)(Wikipediaより)

国指定の重要無形文化財「芭蕉布(ばしょうふ)」保持者(人間国宝)で長年、沖縄本島北部の大宜味村喜如嘉(きじょか)の芭蕉布を継承してきた平良敏子(たいらとしこ)さんが13日までに大宜味村喜如嘉で死去した。101歳だった。

戦時中は勤労女子挺身隊として岡山で働いた敏子さんは戦後、染織家・外村吉之助氏から織りを学んだ。1946年に沖縄に戻ると、戦争で失いかけていた芭蕉布作りに取り組んだ。イトバショウの栽培から、刈り入れ、糸つむぎ、染め、織りと、芭蕉布作りのほとんどの工程をこなした。糸をずらして自由に絣(かすり)の文様を生み出す「手結い」の技法などで現代の作品を創作。芭蕉布の復興に尽力した。

こうしたことが評価され、1994年に沖縄県功労者に、2000年には人間国宝に認定された。

娘の恵美子さんは喜如嘉芭蕉布事業協同組合の理事長を務める。敏子さんの伝統や功績を伝えるために県内外で講演を行い、NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の芭蕉布制作考証を担当している。

恵美子さんの講演を聞いたことがあるが、話を通して芭蕉布の保存継承のために注いできた敏子さんの涙ぐましい努力を実感できた。

「戦時中、マラリア感染対策でイトバショウが焼かれた。代わりにパラシュートなど米軍の払い下げ品をほどいた糸で織物を始めた」。イトバショウが育って芭蕉布作りを再開すると、「近所の人々の力を借りることで苦しいことも楽しくでき、お互いカバーし合える」と沖縄に根付くゆいまーる(助け合い)の精神が成功の秘訣だと話してくれた。軽くて薄く、高温多湿の沖縄でも涼しく感じられる芭蕉布に先人の知恵を感じる。

(T)