
夕方、歩き疲れて公園のベンチで休んでいると何かの気配を感じた。手を見ると、薄暗い中、黒い点がある。目を近づけると蚊だった。
蚊は音をブーンと立てるものもあるが、野外ではこうした気配を感じさせないやぶ蚊がやって来る。忍者のように皮膚に止まり、いつの間にかかゆくなって血を吸われたことに気付く。
江戸時代の狂歌に、時の政治を風刺した「世の中に蚊ほどうるさきものは無しぶんぶといふて夜も寝られず」がある。「ぶんぶ」は「文武」に掛けており、文武を奨励して「寛政の改革」を主導した老中の松平定信のことを皮肉ったものである。羽音のしない蚊しかいなければ、こうした作品は作れない。
狂歌は庶民の声を代弁したものと言えるが、政治的な主張があるわけではない。ただ不満や鬱憤(うっぷん)を晴らすだけであると言っていい。狂歌を作ったのは当時の知識人たちで、風刺を表現するほどの知識がなかった庶民ではない。その狂歌作者として有名なのは、幕臣の大田南畝(なんぽ)(蜀山人〈しょくさんじん〉)である。
江戸時代は現在のような新聞雑誌、テレビのようなマスメディアはなかった。狂歌や川柳、落書(らくしょ)などによって時の政治に対する批判や不満を面白おかしく風刺の形で表現したと言えよう。その点では蚊の一刺しに似ている。
稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には、季語「秋の蚊」の説明に「秋なお残って人を刺す蚊は執念深く憎くもあるが、どこか哀れでもある」とある。



