「途中でやめるな」と諭され
良き師との出会いは、その後の人生を決定的に変える。草月流師範の勝林良雄氏も、そういう師匠との出会いがあった。(聞き手=池永達夫)
――華道の道に入った経緯は。
小学生の時、劣等生だった。通信簿は体育5、音楽4、あとは全部1だった。
赤面症で教室で名前を呼ばれて立ったら、顔は真っ赤になって頭は真っ白、何が何だか分からなくなった。
そういう人間だったが小学校5年の時、事件が起きた。
6年生の悪ガキのボスが教室に入って来て、級友がやられていた。
私が教室に入っていき、「よー」とあいさつしたら、ボスは私に矛先を向け詰め寄ってきた。
クラスの生徒たちは窓越しの廊下から、私が悪い奴に捕まってどうなるのか見ていた。
ボスが私に「目をつぶれ」と言った。
私は殴る気だなと思って「なぜそうしならいかんのや」と言い返した。
級友たちにしてみれば、赤面症で劣等生の私が立ち向かっている姿は驚きだった。
それでボスが手に持っていた石を振り上げようとした時、誰かが教員室に駆け込んで急を知らせたらしく、飛んできた担任の先生が扉を開けて入って来た。
ドラマチックな恰好(かっこう)で、間一髪で助かった経緯がある。
2学期の級長の選挙が始まる前のことだった。
それで私の株が上がって、劣等生の私が級長に選ばれた。
私の級長のイメージは、すべての問題に模範解答で答えるというものだった。
そのイメージに合わせるため、それまで勉強などしたことがなかったが、予習復習全部やり朝から晩まで勉強した。
ただ自分はとろいから、人の十倍やらないといけなかった。
漢字、1文字覚えるのに、ノートの1ページ全部使っていた。そうすると一晩でノートが無くなってしまう。
それを先生が「大したものだ」と褒めてくれる。うれしくてまたやる。
その結果、算数だけは5を取れなかったものの、その他はすべて5だった。
――それほど勉強すれば、算数5というのは難しくない。
母親がPTA副会長をやっていた。当初、算数も5になっていた。
ところが母親は担任のところに行って、うちの子供が算数に限って5を取るはずがない。おかしい。それで5から4になったエピソードがある。
ともかく事件以後、人生が変わった。中学校に入っても、これまでの悲惨な劣等生には戻りたくなかった。
ただ、中学校からは習ったことのない英語が始まる。
それで、6年の終わりから、英数国を勉強できる塾に通った。
そこでまた人生の転機が訪れた。
塾の先生は神主の息子で、宗教遍歴してクリスチャンになった方だった。
その先生のモットーが「1に人格、2に人格、3に人格」、「人格ができれば勉強もできるようになる」というものだった。
その人格をどう身に付けるかというと、芸事だという。書道、華道、茶道、絵画、月~金まで学科、土日で芸事、それを6年の終わりからずっとやって、小学校の終わりに書道や絵画をやっていたが、中学校になって華道を学んだ。
先生は男だったが、華道まで教えていた。
先生に華道教室に入りたいと申し出ると「途中でやめるなら、初めからしない方がいい」と覚悟を諭され結局、私の人生を貫く芸事になった。
親父は昔気質(かたぎ)で「男が花なんか」と批判していたが、だんだん腕が上がって、正月花まで生けれるようになると黙認するようになった。
――華道を学ぶ中で、印象に残ったことは?
何でも光を当てれば影ができる。私の師匠は、その影で花を表現していた。
「お前だけに30年先の花を教えている」と言っていた。
――面白い師匠だ。
面白いどころではなかった。書道10段。絵では二科展に出品するほどの力量を持つ。踊りもできる。彫刻もできる、走れば100メートル11秒、剣道は4段だ。
――何でもできる現代のダビンチ?
そうだ。ただ、そうしたことを一切、自慢せずあくまで謙虚だった。
既に亡くなられたが、追っても追ってもその背中しか見えない。
――生け花の原点は?
仏様に供えるための花が原点にある。華道は、室町時代に京都・六角堂の僧侶「池坊専慶」が確立させた。
――神道では榊を供えるが、依り代の意味がある。仏教ではどういった意味があるのか。
あくまで仏様に供える、供え花だ。神道と花の縁は薄いが、仏教ではお釈迦(しゃか)様と蓮の花といった具合に花との因縁が強い。
池坊というのは、その花を生ける最初の形を決めた流派だ。
一方、草月流というのは現代的で新しい。
――伝統の池坊に対峙(たいじ)した草月流の思想は何か。
池坊は形が決まっていて、それから外れることはない。
一方、草月流は形式にとらわれず、「斬新」で「自由」。生け手の個性を大切にする。花展に行くと、モダンアートを見ているようで面白い。花だけに限らず、コンクリートや石などを使った彫刻みたいな作品もある。
あと、「盛花(もりばな)」を創出した小原流というのもある。「盛花」というのはテーブルの上に盛るように生けるもので、「床の間」や広い玄関のない洋風の住宅にも合う近代的なものだ。
華道の主な流派は、池坊に小原流、それに草月流の三つだ。
――茶道、書道、華道の共通項は。
みんな道が付いている。それぞれの芸事を通じて、人の道を究めることが肝要だ。
――道は究まった?
ゾーンに入ると、我(が)が無くなり、無になるから天が降りてくるといった感触だ。自分の意志とかでなく、手が勝手に動く。
――印象深い弟子は?
留学生だったネパール医学生夫婦を教えていたことがある。華道に、日本の伝統芸術を感じとってくれた。
ネパールにはフラワーアレンジメントはあっても、深みには欠ける。
日本での留学が終わってネパールに帰ったら、ネパールに招待してくれ、2人の名前が入った修了書を渡したことがある。
今でも彼らを含め70人に、花を生けるたびに作品の写真をラインで送っている。

【メモ】小学校5年の事件は、NHK風に言えば「その時、歴史は変わった」だろう。なお勝林氏の視野の広さは、茶道を修めたことが大きいように思う。茶道には華道も書道も、陶芸も伝統芸術のエッセンスがほとんど入っている。茶室には掛け軸が掛かり、花も生け、飲む陶器への造詣も深まる。茶道というのはただお茶を飲む小さな器ではなくて、日本の伝統芸術を盛る器でもあるからだ。音楽で言えば個々の楽器を総合して奏でるオーケストラのような統合芸術だ。



