
韓国とはどのような国なのか。調べ始めたのはソウルオリンピックの数年前のことで、その後たびたびこの国を取材で訪れてきた。そして一冊の歴史書が歴史を見る目を開かせてくれた。
それは高麗時代の僧、一然の書いた『三国遺事』で、古代三国時代から統一新羅時代までを扱っていた。ここには、民族の信仰心が民族の生命の最も重要な要素という歴史観が提示されていた。
序文にこう書かれている。国が新しく興り、王が出現する時、必ず預言があり、破局を越えて、平和な国がつくられる、と。高句麗、百済、伽耶、新羅、統一新羅、皆そうだったと一然は記している。
それゆえ韓民族の信仰と、旧約聖書に見られるヘブライ民族の精神とには、多くの類似点があると指摘する韓国人神学者もいる。こうした観点から見ると、幾つもの名作を挙げることができる。
1919年の「3・1独立宣言文」もそうだったし、同志社大学に詩碑のある尹東柱(ユンドンジュ)の作品もその一つ。「序詩」(41年)で「死ぬ日まで 天を仰ぎ/一点の恥ずることなきを」と歌い、国民的詩人と称(たた)えられた。だが、この潮流は45年以後、見当たらなくなってしまう。
韓国文学の翻訳者、斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)は、朝鮮戦争以後を扱った現代文学史。現代史を概観させてくれるが、ここにはその水滴すら見つからない。どこに消えたかは韓国現代史の大きな謎だ。



