
昭和58(1983)年だから今から40年ほど前になるが、小紙で記者クラブについて掘り下げる「記者クラブ その機能と功罪」という連載記事を掲載した。その取材で出会ったのが、毎日新聞OBで警視庁担当キャップなどを務めた“伝説的事件記者”佐々木武惟さん(故人)だ。
後輩の故内藤国夫さんによると、同じ日の朝刊の1面や社会面に特ダネを4本まとめて書くなど、超人的逸話が社内で語り継がれていた。
佐々木さんがスクープを連発できたのは、記者クラブでの会見に飽き足らず、シンパ刑事への夜討ち朝駆け取材をしたことによるものだ。時には警察より先に犯人を突き止めたこともあった。
「特ダネは数え切れないくらい取ってきたが、ハズれたことは一回もなかった」というのにも驚いたが、「必ず裏付けを取った」からと聞いて納得した。取材した縁でその後いろいろ指導を仰げたのは幸いだった。
そんなことを思い出したのは、ほかでもない。安倍晋三元首相の銃撃事件には、救急医療に当たった奈良県立医科大付属病院の発表と警察の発表が大きく食い違う、命中した銃弾が1個見当たらないなど謎が多い。にもかかわらず、記者クラブ所属の記者たちが追及しないばかりか、真相究明に各紙社会部がほとんど動いていないという話が伝わってきたからだ。
時代は変わっても、事件報道の本質は変わらないはずだ。佐々木さんなら、どうしたろうと考えてしまうのである。



