全廃条約に調印するゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(左)とレーガン米大統領(ともに当時)=1987年12月、ワシントン(AFP時事).jpg)
東西冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が死去した。ロシアがウクライナを侵略している現在、その功績に改めて目を向ける必要がある。
ロシアでは低い評価
ゴルバチョフ氏は1985年3月、ソ連最高指導者の共産党書記長に就任した後、ソ連社会の停滞打破に向けて「ペレストロイカ(改革)」に着手した。86年4月のチェルノブイリ原発事故後は「グラスノスチ(情報公開)」を推進。共産党一党独裁を放棄して複数政党制を認め、90年には大統領制を導入した。
外交面では、平和共存を目指す「新思考外交」を展開し、社会主義陣営の結束維持のため軍事介入も辞さない「ブレジネフ・ドクトリン」を放棄。89年12月のブッシュ(父)米大統領(当時)とのマルタ会談で冷戦終結を宣言した。その功績は極めて大きい。
当時のレーガン米大統領やサッチャー英首相ら西側諸国の首脳と強い信頼関係を結び、ソ連の改革と世界平和に尽力した政治姿勢は称賛に値する。従来のソ連指導者のイメージを覆す明るい笑顔と精力的な仕事ぶりは西側でも人気を集めて「ゴルビー」の愛称で親しまれた。各国からは冷戦終結の立役者の死を悼む声が相次いでいる。
しかし、国内では経済改革に失敗してソ連崩壊を招いたことからロシアでの評価は低い。プーチン大統領はソ連崩壊を「20世紀最大の悲劇」としている。ソ連構成国だったウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟を阻止するために侵略したのも、こうした考え方が背景にあろう。
だがロシアの侵略後、脅威にさらされる北欧のスウェーデンとフィンランドは、軍事中立路線を転換してNATOに加盟申請した。NATO拡大を阻止するための軍事行動が、逆にNATO拡大を招いたことになる。
北欧2カ国が加盟すれば、欧州北方のバルト海はNATO諸国に囲まれる「NATOの湖」と化す。フィンランドはロシアと1300㌔以上に及ぶ国境を接している。ウクライナ侵略は戦略的な大失敗だと断じるほかはない。
プーチン氏はゴルバチョフ氏の路線を否定し、国内では強権的な統治を進め、対外的には他国への侵略も辞さない覇権主義的な動きを強めている。しかしプーチン氏がどれほど「悲劇」だと嘆いても、ソ連崩壊は歴史の流れであり、避けられなかったのではないか。
ゴルバチョフ氏はウクライナ侵略に反対の立場を表明していた。プーチン氏が国際秩序を破壊し覇権拡大を追求し続ければ、いつかは行き詰まるだろう。
台無しにしてはならない
ゴルバチョフ氏は91年4月にソ連首脳として初めて訪日。北方領土問題の存在を認め、歯舞、色丹、国後、択捉の4島が交渉の対象であることを明記した共同声明に署名した。
しかしプーチン氏は、北方領土の不法占拠を「第2次大戦の結果」と主張し、日本との領土交渉を停滞させている。ゴルバチョフ氏の功績を台無しにすることは許されない



