今月初めニューヨークで始まった核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は 前回2015年に続き、今回も最終文書を採択できず決裂して閉会した。ロシアのウクライナ侵略で核使用の危険が高まる中、核軍縮を目指すNPT体制の信頼性が大きく揺らぐ結果となった。
露が最終文書採択に反対
最終文書の採択は全会一致が原則だが、ウクライナ南部でロシアが占拠するザポロジエ原発などの管理権限がウクライナにあるとする記述や、ウクライナが核を放棄する代わりに米英露が安全を保障する「ブダペスト覚書」をロシアが順守していないと示唆する記述にロシアが不満を示し、採択に反対したことが決裂の原因だ。
ウクライナ侵略に続くロシアの暴挙である。合意形成に向けた各国の努力を踏みにじり、自国の非を認めず、その主張のみを押し通すロシアの傲慢(ごうまん)な態度は容認できない。厳しく非難されるべきだ。
それと同時にわれわれは、大国の横暴の前にはいかなる条約や国際合意もガラス細工の如(ごと)く脆(もろ)いものであり、それが厳しい国際政治の実態であることを直視せねばならない。さらに今回の会議失敗を踏まえ、限界を抱えるNPT体制への安易な期待を慎み、自国の安全は最終的には自らの手で守り抜かねばならないことを改めて自覚する必要がある。
NPTは1967年1月1日の時点で核兵器を保有していた米英仏中ソの5カ国だけを「核保有国」と公的に認める一方、その他の国の核保有を一切禁じており、その不平等性からインドやパキスタン、イスラエルは加わっていない。また、核保有国に核軍縮に向けた「誠実な交渉」を義務付けているが、果たされてはいない。
日本は佐藤栄作政権下の70年にNPTに調印した。この当時、中国が64年に核実験を成功させ、核武装に乗り出すのは時間の問題だった。台湾侵攻の可能性も否定できず、ベトナム情勢も緊迫していた。こうした情勢、特に中国の核武装化への懸念から、佐藤首相は日本の核保有も考えていた。
これを受け、65年1月の日米首脳会談でジョンソン大統領は佐藤首相に、米国は日本を防衛する、米国の核抑止力が日本に必要な時はそれを提供すると明言した。この言質を得たことが日本のNPT加盟につながったのである。
わが国は日米安保条約を結び、米国の核の傘に自らの安全保障を託している。だが将来、国際情勢が変化し、自らの核武装を検討すべき時期が来るかもしれない。その時日本の手を縛るのがNPTである。非核保有国の核保有を禁じるNPTは、安全保障政策の選択肢を制限する条約だ。
核保有の可能性も想定を
日本を取り巻く現在の国際情勢は、当時よりもはるかに厳しい。軍事大国化した中国の核・ミサイルの脅威にさらされている。NPTの遵守(じゅんしゅ)は加盟国の義務だが、あらゆる事態を想定し、将来の核保有の可能性についても真摯(しんし)な議論を重ねることが、日本の抑止力向上につながることを忘れてはならない。



