米軍の九州・本州上陸防いだ特攻隊

島守・防人に感謝する集い 那覇市・沖縄県護国神社

靖国神社に奉納されている花嫁人形の写真を紹介する大山晋吾氏=19日、沖縄県那覇市の沖縄県護国神社

沖縄戦では、祖国防衛のために沖縄本島で、または沖縄に向かう途中、命を捧げて日本のために戦った青年が多くいた。彼らを顕彰し、思いを馳(は)せる「島守(しまもり)・防人(さきもり)に感謝する集い」が19日、那覇市の沖縄県護国神社で開催された。(沖縄支局・豊田 剛)

歴史を我が身に置き換えよ 大山晋吾氏

祖国復帰は全国民が共有を 仲村覚氏

6月23日の沖縄慰霊の日にあわせ、日本会議沖縄県本部は2011年から沖縄県護国神社で「島守・防人に感謝する集い」を開催している。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で3年ぶりの開催となり、参加者を限定して開いた。

集いでは、靖国神社で20年間以上にわたり、神主として社内の博物館「遊就館」で遺族の遺品管理や来館者の案内をしてきた沖縄神社庁事務局長で、波上宮(那覇市)の大山晋吾禰宜(ねぎ)が沖縄戦で神風特別攻撃(特攻)隊員として散華(さんげ)した青年らのエピソードを紹介した。

「自分の想いを殺して国のために出撃していった英霊の身になって考え、先人の立場に立ってそこに身を置いて歴史を考えるときに、迫ってくるものがある」

大山氏はこう述べ、七生(しちしょう)報国の精神を貫き通した青年たちを顕彰した。中でも、沖縄県師範学校の男子からなる「鉄血勤皇隊」の一員として沖縄戦に加わり犠牲になった小渡(おど)壮一氏の決意は壮絶だった。配属された前田高地(浦添市)で急造の爆雷を引き下げて米軍の戦車の前に立ちはだかった。最後は、遺書で「ご両親様 どうか健在であって下さい。私も鉄血勤皇隊に入り、よくやって呉(こ)れたと思はれて決して嘆く様なことはしないで下さい」と記し、「身はたとへ此(こ)の沖縄に果つるとも 七度生まれて 敵亡ぼさん」という和歌を残した。

殉国学徒を顕彰で遺文を読み上げる上野竜太朗氏(左)=19日、沖縄県那覇市の沖縄県護国神社

沖縄を目指して出撃し、特攻して亡くなっていった若者が多いが、その一人が熊本出身の緒方譲氏だ。沖縄に向けて飛び立つ途中に銃撃を受けて九州南方洋上で戦死した。出撃30分前にこう和歌を詠んだ。「死するともなほ死するともわが魂(たま)よ 永久にとどまり御国(みくに)まもらせ」

続いて、大山氏は、靖国神社に数多く展示されている花嫁人形のエピソードを紹介した。花嫁人形は、結婚することなく若くして戦死してしまったため、家族が供えたものだ。佐藤ナミさんが息子の戦没から37年の歳月を経て捧(ささ)げたのが「桜子」と名付けられた花嫁人形だ。そこに添えられた手紙にはこう書かれている。

「武一よ。貴男は本当に偉かった。

二十三歳の若さで家を出て征(い)く時、今度逢う時は靖國神社へ来てくださいと。

雄々しく笑って征った貴男だった。

どんなにきぴしく苦しい戦いであっただろうか。

沖縄の激戦で逝ってしまった貴男…。

年老いたこの母には、今も二十三歳のままの貴男の面影しかありません。

日本男子と産れ、妻も娶(めと)らず逝(い)ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。

今日ここに、日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます」

沖縄戦では沖縄県民は単なる犠牲者ではない。大山氏は「沖縄戦では沖縄の人々がしっかり戦ってくれたおかげで九州、関東上陸を阻止でき、日本本土を守った。逃げ回った訳ではなく戦った。大田実海軍中将が電報に残した『沖縄県民かく戦えり』の歴史をしっかり伝えなければいけない」と強調した。

引き続き、日本沖縄政策フォーラム理事長でジャーナリストの仲村覚氏は、沖縄戦について、「全国の若者が命を懸けて戦っており、特攻隊にも全47都道府県から参加していることを忘れてはならない」と指摘した。

沖縄復帰50周年を迎えるに際し、仲村氏は「祖国復帰の歴史は沖縄だけではなく日本国民全体が共有すべきだ」と持論を展開。「最も日本人の魂が輝いている歴史は祖国復帰の歴史だ。日本人全体で共有することで日本人としての魂が復活する」と訴えた。

その上で、仲村氏は1953年2月29日、屋良朝苗主席(知事に相当)が沖縄教職員会長時代に衆議院文部委員会で沖縄戦で犠牲になった学徒隊について語った場面を紹介した。

「かの悲惨なる戦争に参加して、いたいたしくも祖国に殉じた青少年男女学徒等の最期をわれわれは絶対に忘れることはできません。彼らは愛する祖国を守るためにこそ、純情一途に最後まで祖国の勝利を信じつつ、あたら花のつぼみのようなうら若い身を、かの映画『ひめゆりの塔』で見られますように祖国に捧げたのでありました。われわれはいかなる障害を乗り越えても彼女らの純情を生かしてやりたいのであります」

集いに引き続いて、「殉国沖縄学徒顕彰祭」が社殿で行われ、加治(かじ)順人(よりひと)宮司が祝詞(のりと)を読み上げ、上野竜太朗氏が沖縄学徒の遺文を奉読するなどし、沖縄戦で殉国した学徒の英霊を慰めた。