東日本大震災の津波から学び、今後に生かそう

東日本大震災の発生から11年。児童74人と教職員10人が津波の犠牲となった宮城県石巻市の旧大川小学校(釜谷山根地区)。今後、この悲劇がどのように生かされていくのか、11日、旧大川小での追悼行事に参加した人々を通じて探ってみた。(市原幸彦)


旧大川小学校の卒業生ら、被災の伝承について考える

旧大川小学校で行われた追悼式の様子をカメラ撮影するシティ・マグフィラさん(左から2人目)=11日、宮城県石巻市(市原幸彦撮影)
旧大川小学校で行われた追悼式の様子をカメラ撮影するシティ・マグフィラさん(左から2人目)=11日、宮城県石巻市(市原幸彦撮影)

あの日、北上川を遡上(そじょう)してきた津波に児童の多くが巻き込まれて死亡し、その際の学校の対応に過失があったとして裁判になった。令和元年10月、最高裁で市と宮城県の敗訴が確定し、市が賠償金を支払うことになった。

これを受け、県や各市は教員に対する防災教育を強化。令和2年11月、県教委主催で県内の小中高校など新任校長計90人に対し防災研修会を開催。同3年6月には、小中高校の新規採用教職員156人を対象にした防災教育研修を実施した。

民間では、大川小学校の卒業生らが今年2月、任意団体「Team大川 未来を拓くネットワーク」を立ち上げた。震災時、大川小5年生だった只野哲也さん(22)が代表だ。只野さんも津波にのまれたが、一命を取り留めたものの、祖父、母、妹を失った。メンバーには大川小時代の同級生や卒業生ら、20代の3人も名を連ねた。

設立の目的について、只野さんは「子供の命を中心に、今後の大川小の保存方法や展示内容、被災の伝承について考えていく。市やいろんな人、団体と交流してネットワークを築き、子供たちが豊かな自然の中で、伸び伸び命を育むことができる、ふるさとを取り戻したい」と話す。

また、17年前のスマトラ沖地震に遭い、両親と共に逃げて命拾いしたというインドネシア人で、東北大学大学院生のシティ・マグフィラさん(25)も追悼式に参加した。イスラム教徒で、専攻は「宗教と災害」だ。追悼式や、僧侶たちの読経、参列者が焼香する様子などをカメラ撮影していた。

シティさんは、地元バンダアチェ市のNGO団体で日本語講師を務める傍ら津波に関するドキュメンタリー映画制作のプロジェクトリーダーとして、映画や生存者の証言集を手掛けたこともある。

昨年10月に大学院進学後、今年2月に岩手県陸前高田市を訪問し、県東日本大震災津波伝承館を見学。外で震災後に整備された防潮堤や海の様子も見た。

シティさんは「アチェには防潮堤はないが、伝承館で聞いた“海とともに生きる”という考えはいいと思った。災害は必ず繰り返す。インドネシアも日本も津波から学び、未来の社会に経験を伝えることが大事だ」と強調した。